BMW1シリーズにクーペモデルが追加された。そこには実に深いBMW社の深い戦略が読み取れるのである。
BMW1シリーズの日本発表は2004年9月。同社のラインナップとしては主流とはいえないハッチバックモデルでデビューした。オーナーの方には申し訳ないのだが、発売当初の評判の中には「安っぽい」とか「BMWらしくない」といった声も多く聞かれた。上位の3シリーズにもハッチバックモデルは存在するのだが、1クラスはハッチバックオンリーの設定でスタートしたことが、スタイリングに対する批判の中心だった。今回のクーペは、それから実に約3年半を経ての上市なのである。
ローエンドモデルをメーカーが投入することは、ユーザーの裾野を広げるという意味で重要な施策である。BMW社はバイリッシュ・モトレーン・ウェルケというのが正式名称。つまり、「バイエルンのエンジン屋」だ。しかし、その名から連想されるような、クラフトマンシップたっぷりに、小さな工房で手作りの車を少量生産しているような会社ではない。2006年に生産台数200万台を突破した大メーカーである。となれば、その生産台数を押し上げ、生産ラインの効率を高めて「規模の経済」を加速するためにもローエンドモデルはやはり欲しいところなのだ。
一方、その展開には大きなリスクが存在する。前述の通り、1シリーズの発表時に批判の論を展開した中心層には、既存のオーナーがいた。ローエンドモデルの新たなオーナーとなる層は、やはり若い人や、可処分所得が既存オーナーより低い人たちが想定される。「そんな人と同じに観られたくない」というのが言外に匂うのは否めないだろう。つまり、想定されるリスクは、「既存顧客の離反」だ。
マーケティングにおける定説の一つに「新規顧客獲得コストは、既存顧客維持の5倍かかる」というものがある。既存顧客離反は由々しき事態なのである。
深謀遠慮とは「周到な策略をめぐらす」という意味だが、筆者は主に後ろの「遠慮」を強調したかったのだ。なぜ、クーペ投入に3年半も間を空けたのか。それは既存顧客への遠慮ではなかっただろうか。あえて、ハッチバックのモデルだけを投入し、実はそのスタイルとは裏腹に、1シリーズは実にBMWらしい走りを感じさせてくれるのであるが、カジュアルさを演出することによって、「まぁ、ローエンドモデルらしいスタイルだな」と許容させたのではないだろうか。でなければ、主流のスタイルではないモデルで展開した意味が分からない。
そして、長きにわたる遠慮の期間を経て、ついにクーペの投入だ。しかも、BMW3シリーズ335iと同じパラレル・ツインターボ・エンジンを搭載して、最大出力306馬力をたたき出す本気のモデルである。
李 御寧が”「縮み」志向の日本人”で記したとおり、日本人は小さくて高性能なものが大好きだ。このBMW1シリーズクーペはローエンドモデルとはいえ、MT車が538万円、AT車が549万円とそれなりの価格だが、結構検討するのではないかと思う。
但し、ここまでの話の展開でお気づきかと思うが、BMWはもう一歩遠慮しているように思われる。同社の本領は「スポーツセダン」だ。今回発売されたのは「クーペ」。もっとBMWらしい1シリーズの投入もやがてあるように思われる。
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2008.07.01
2008.07.02
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。