米国発金融危機の影響で、国内の求人・雇用情勢が一変した。仕事を「選べる人」になるのか、「選びにいく人」になるのかで、キャリア・人生は天地雲泥の差が出る。
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Aさんのもとには彼の才能と人柄を頼って、
日々、いろいろな仕事・仕事相談が舞い込む。
そして、彼はその中から自分がワクワクできる仕事を悠々と選ぶことができる。
(つまらない案件だと思えば、それを断ることもできる)
一方、Bさんは自分に都合のよい条件の仕事を探し回っている。
三度目の転職を考えているのだ。
「まったく、世の中にはイイ仕事なんてありやしない」と愚痴混じりに
ネット上の膨大な求人情報をさまよう。
◆カタログ上の仕事情報は急増している・・・だが
ピーター・ドラッカーは『断絶の時代』の中でこう述べています。
「先進国社会は、自由意志によって職業を選べる社会へと急速に移行しつつある。
今日の問題は、選択肢の少なさではなく、逆にその多さにある。
あまりに多くの選択肢、機会、進路が、若者を惑わし悩ませる」。
確かに、この指摘は一面で正しい。
しかし、一面で正しくないともいえます。
つまり、カタログ上の職業や職種、あるいは求人は過去に比べ増えている。
WEBや分厚い冊子に載る就職情報・求人情報は日常、溢れるほどあり、
そういった意味では、ドラッカーの言うとおり、
私たちは、その種類の多さに、“いったんは”惑い、悩む。
しかし、よくよく自分の適性やら条件やらに当てはめていくと、
「これも×」、「あれも×」・・・となっていき、
ついには自分が選べるものがみるみるなくなっていく。。。
そして、残った数少ないものに応募し、面接するのだけれども、
結果は「不採用」・・・
カタログの中には、無数の選択肢が目まぐるしく記載されているのに、
自分はどこからもはじかれてしまう・・・
そんなBさんのような人が世の中には多くなっている。
とはいえ、広い世間には、それとは真逆の人もいる。
Aさんのような人です。
彼のもとには、仕事が向こうから寄ってくる。
◆「仕事を選びにいく回路」に留まっているかぎりジリ貧になる
―――この二人の選択肢の差が、私の言う「選択力」の差です。
選択力とは、厳密に言えば、
「選択肢を増やし、結果的に“選べる自分”になる力」です。
Bさんのように、都合のよいものだけを追っかける働き方をしている人は、
そもそも選択肢を増やすことをしない。
既存の選択肢に自分が擦り寄り、あれこれ選り好みしているだけなので、
早晩、ジリ貧になる。
すなわち、「選びにいく自分」がそこにいる。
ところがAさんは自分の抱く目的の下に、
いろいろな形で行動で仕掛け、自分をひらいている人です。
おそらく、何かしら「仕事の世界観」をもっているのでしょう。
その世界観がいろいろなヒト・仕事・機会・ときにはカネを引き寄せることになる。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。