サッカー日本代表の試合がインターネットでのみ中継された出来事をきっかけに、テレビがつまらないと言われるようになったコンテンツの品質以外の理由は何か、過去からのテレビの視聴スタイルの変遷から考えてみます。
先日行われたサッカー日本代表の試合(対バーレーン戦)は、テレビ中継が約11年ぶりにされなかったことでも話題を集めた。法外な放映権料を要求されたことなどが、テレビ中継が行われなかった理由らしい。テレビに替わって試合の模様をライブ中継したのがインターネットである(有料)。有料そして深夜のキックオフにもかかわらず視聴枠は売り切れたようで、中継にはさまざまな課題を残したものの今後のテレビの姿を考える上で示唆に富む試みだったと判断した。
そこで、テレビの視聴のあり方から捉えたこれからのテレビのあるべき姿について考えてみることにする。先に言っておこう。正直、ぼくはテレビが好きだ。ビジネスマンにもかかわらず、1日の結構な時間をテレビの前で過ごし、妻と一緒に就寝まで観ることもしばしばというかほとんど。一方、世間ではテレビ離れが深刻のようでテレビ局にとっては経営面で極めて厳しい局面に立たされていることが騒がれている。テレビの視聴スタイルの時代変遷を4分類してみる。
テレビの初期は、大勢が街頭で観て一緒に応援したりと喜怒哀楽を共有する(例えば力道山の試合など)スタイルがテレビ視聴の代表的なものだった。
そして、テレビが三種の神器と呼ばれた頃に各家庭にテレビが普及しだし、一家に一台の時代がやってくることに。テレビは家族団欒の中心に位置すると同時に、番組放映翌日の学校での話題の中心にもなりテレビにとってのわが世の春でもあった。
さらに時は進み、テレビが手軽に手に入る時代になったことによって一家から個室に一台の時代に。別々にテレビを観ることにより、テレビ局は多様なニーズに対応するための多彩なコンテンツを作る必要が生じた(一家に一台の時代は頑固オヤジがチャンネル権を握り巨人戦を観ていた)。視聴率も分散するようになり、それと同時にかつてのようなお化けのような視聴率を稼ぐ番組が減って行った。テレビを観ながらの会話はめっきり無くなり、各自が好きな番組を観られるようになったこともあって一家に一台時代に比べて番組の話題が挙がる機会も減ってしまった。
時はさらに進み、90年代後半から一気に普及した携帯電話でもテレビが観られるようになり(ワンセグ)、かつてとは異なりどこでもテレビが観られるようになった。電車の中でも、ファミレスでも、観たいときに観る。ビデオが「時間の制約」を取っ払ったなら、ワンセグは「空間の制約」を取っ払ったと言えよう。ワンセグを外で視聴する際にはイヤホンを着用することが一般的で、一人一台時代よりもさらにプライベート感が加速することに。番組を観ながらの会話はないばかりか喜怒哀楽が共有されることももはやなく、これらは専ら自己消化されることに(一部の人はインターネット上の掲示板(実況板)で共有している(ぼくも掲示板を観ながらテレビを観ることも))。
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