ダイバーシティの推進。それは「真に多様であること」に焦点を当てて考えることが重要ではないのか。
多様な人材、異質な人材を雇用・活用することによって、イノベーションが起きやすくなり、結果として企業の生産性を高める、ということで注目されるのがダイバーシティですが、この流行は「日本企業は、人材が多様であることを拒んできた。異質な人材を雇用・活用してこなかった。」ということが前提となっていて、これを反省すべきだというような視点に立った、やや自虐的なニュアンスが含まれているように感じます。
それは、一昔前に、皆で日本的な年功処遇を自虐的に捉えて目の敵にし、米国型成果主義を賛美したのと同じ雰囲気があります。
確かに、女性・外国人・障がい者・高齢者の雇用や処遇に当たって偏見や差別があったわけで、これを是正することは大切なことですが、だからと言って日本企業に多様性がなかった、画一的で同質性の高い組織であった、だから落ち目になっているというような議論は短絡的でオカシイ。それならなぜこれまで、星の数ほどのイノベーションを生み出し世界経済に大きな影響を持てるようになったのか。これまでは同質性を強みにできたが、これからは多様性がないと駄目だ、というのもアバウトで説得力に欠けます。
性別・年齢・国籍などに関係なく人を集めればイノベーションが起こる、活性化して生産性も上がるなら、こんな簡単な話しはありません。本質は、スキルであり視点であり経験が多様であることで、それをイノベーションに向かって組み合わせることです。それために女性や外国人や・・・ということも有効かもしれないということです。つまり、単に属性が多様であるのではなく、保有している能力が多様であることこそ大事で、属性が多様だからといって能力も多様であるはずはありません。
「日本企業は多様性がなく、画一的で同質性の高い組織だ」というのは思い込みで、実は「長期雇用を前提に時間をかけて育成した多様な熟練者が、上手に役割分担してイノベーションを生み出し続けている組織」ではなかったか、と考えてみる必要があります。ただ単に、女性や外国人の雇用・活用が欧米に比べて数値として見劣りするだけのことで、保有しているスキルや能力は多様であるのかもしれません。もしそうなら、現在のダイバーシティの議論は行き過ぎで、女性・外国人の雇用問題とは切り離して議論すべきということになります。
ダイバーシティが、イノベーションに対する漠然とした期待であってはなりません。問われているのは「真に多様であること」です。であれば、新しく参加・入社してくる人に多様であること、異質であることを期待するのではなく、まずは今ここにいる人達が多様な学びを通して成長を遂げる、異質な視点・視野を得ることこそ問われていると考えるべきです。今いる人たちが多様性を獲得できないのであれば、例え異質な人材が入ってきても、結局は「郷に入らば郷に従え」を強要するだけになるでしょう。それは、属性を多様化しただけに過ぎません。
そうなったら、また成果主義と同じように、10年くらい経って「ダイバーシティは失敗だったのか」という議論をしなくてはなりません。
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2010.03.20
2015.12.13
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。