ガチンコと八百長の間にあるもの。大相撲が人気回復に向けて、大切にすべきこと。
真剣勝負=ガチンコでなければ八百長だ、というのは単純すぎる議論です。ガチンコと八百長の間には、何となく阿吽の呼吸で場の雰囲気に合わせながら戦って、皆の意思を汲み取った上で調和のとれた勝負の付け方をし、その場に居合わせた人は満足しているという勝負だってあります。カネのやり取りも事前の話し合いもないのに、どういう戦いをすべきかを互いに理解している。ガチンコではなくて、そういう勝負を見たい人はいっぱいいます。マジに戦っている姿を、何となく野蛮に感じる人や不安で見ていられない人は沢山いて、そういう人は戦う様子にも結果にも、安心や安定が必要なわけです。
貴乃花親方を中心とする若手親方がどのような改革像を描いているのかは分りませんが、相撲を見に来ている、相撲をテレビで見ている人のニーズをしっかりとつかまえることが必要です。私の見る限り、本当の真剣勝負を見たいと思っている人は少ないでしょう。お客さんの表情や様子は、明らかに本気の格闘を見に来たそれではありません。飯を食って酒を飲みながら、「お相撲さんは綺麗だなあ」とか言って楽しむ。ひっくり返る姿を見て、手を叩いて笑う。ひいきが負けたからといって、本気で悔しがっている人など珍しいでしょう。7勝7敗の力士が必ず千秋楽に勝つ「?」という勝負も、笑って許す寛大さもあります。
調べてみれば、明治・大正期の横綱19人のうち、5人が40歳になっても横綱を張っていたようです。引退時年齢は、鬼面山:44歳、梅ヶ谷:41歳、西ノ海:41歳、常陸山:40歳、太刀山40歳。35歳を待たずに引退したのは、たった5人しかいません。
当時の平均寿命は、
1880年 男性:36.0歳 女性:38.0歳
1898年 男性:42.8歳 女性:44.3歳
1925年 男性:42.0歳 女性:43.2歳
となっていますから、その頃の横綱というのは平均寿命に近いことになります。人によっては、平均寿命を超えているのに横綱として頑張っていたことになります。今の平均寿命とは背景が全く違いますが、当時、そろそろ・・・と見られてもおかしくない年齢まで、なぜ横綱を張れたのでしょうか。
当時の男は30~40歳で肉体のピークを迎えていた・・・ということはないと思うので、想像するに、「年上に対する敬意」「年上の人間を真剣に倒しにいくことの美しく無さ」みたいな秩序があったこと、また、最後は横綱が勝つという「時代劇のような形式に対する観客の期待と空気を、力士が読んでいた」からではないでしょうか。大相撲にはそんな伝統というか受け継がれてきたDNAみたいなものがあって、実は、そういうものを実感したい、見たいのがファン心理なのではないかと思います。
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2010.03.20
2015.12.13
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。