自分のやりたいこと・目指すものが、見えないから行動できないのではない。行動しないからいっこうに見えてこないのである。
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私はいま、次に出版を予定している自著の原稿を執筆している。
たいてい本を書くとき、おおまかな「アイデアと想い」からスタートする。
「アイデア」というのは、その本のコンセプトや切り口、ターゲット、構成といったもので、
企画書に書く企画のことだ。これは他人の目に見せることができる。
そして「想い」というのは、
「なぜ、いまこの内容を書きたいのか」「なぜ、この内容がいま読まれなければならないのか」といった
自分の内に湧きだすマグマ(エネルギー)のことだ。これは他人の目には見えない。
想いはアイデアを生み、アイデアは想いを強める。
―――この相互増幅の中で書きたいものをカタチにしてゆく。
いずれにしても、執筆の端緒にあって書き手は、
書きたいものの最終的イメージが完璧に見えているわけではない。
せいぜい「こんなようなことを、こんなふうに」程度ものだ。
(しかし“想い”は強い)
だから、私も現時点では、自分の書くものが最終的にどう仕上がるのかは全く予想がつかない。
もちろん、おおまかのイメージや方向性はある。
しかし、これまでの自著もそうであったように、たいてい最終形は自分の予想外のところに結実し、
自分をおおいに喜ばせてくれる。
(もし、すべてが予定稿どおりに進んでしまい、それで本ができたなら、そのときの喜びは激減するだろう)
編集者の方と共々に(ときに反抗しながら)、
ああでもない、こうでもないと企画を幾度も修正し、変更し、
書き上げた原稿を大幅に書き直し、推敲し、
製本されて手元に送られてきたときに初めて、
「ああ、自分はこういう本が書きたかったんだ」と感慨深く気づくことができる。
自分がこしらえた未知の創造物との出合い―――
それは本の執筆にかぎらず、仕事で挑戦的創造を行った者が得る最高の喜びである。
パブロ・ピカソはこう言う。
「着想は単なる出発点にすぎない……
着想を、それがぼくの心に浮かんだとおりに定着できることは稀なのだ。
仕事にとりかかるや否や、別のものがぼくの画筆の下から浮かびあがるのだ……
描こうとするものを知るには描きはじめねばならない」。
―――『語るピカソ』ブラッサイ著、飯島耕一訳/大岡信訳(みすず書房)
どんな絵が描けるかは、描きはじめなければわからないのである。
言い方を変えれば、
キャンバスの上に筆を下し描いてみて初めて、画家は自分が描きたかったものを知ることができるのである。
私は、研修で受講者たちに思考力の足腰を鍛えるために、
何のテーマでもいいから、どれだけの人に見られようと見られまいと気にしなくていいから、
自己発信のブログを始めなさいと勧めている。
次のページ発信しないから、いつまでたっても思考が固まらないのだ。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。