小学教科書の検定結果が文科省より発表されました。 多くのメディアでは「ゆとり教育から転換」というタイトルがおどりました。 果たして子どもの学力は伸びるのでしょうか? 私見を述べるとともに、皆さんの「考える」キッカケを作れれば、と。
◆本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
http://www.zkaiblog.com/histaff/
の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
前半の続きの記事となります。
想像に過ぎませんが、「ゆとり教育」だったからこそ出たスーパースターが、石川遼選手だと思います。
教師が裁量権を持ち、成長過程で、マニュアルにとらわれた時間を極小化し、子どものできる部分を最大限に引き出したからこそ、都立高校に通いながらもゴルフにおいてずば抜けた能力を発揮した、と。。。
インタビューの受け応えなども、マスコミデビューし「ハニカミ王子」と言われだした当初から素晴らしく、1つの能力(=ゴルフ)だけ伸ばすことに特化した教育を施されたことは考えにくいです。
※繰り返しますが、想像に過ぎません。
「ゆとり教育」は、「周りの人に恵まれれば」という条件付であれば、最高の教育結果をもたらす可能性が高かったものなのですから。
しかし、PISAの結果という(1つの)客観的指標、僕自身が子ども達の教科能力を見て感じる主観的感覚などをあわせると、「子ども全体の学力」に関しては、残念ながら落ちてしまっていると思われます。
※マスメディアなどで語られる主観的記事には影響されないようには努めているものの。
…ということは、「ゆとり教育」は、数少ない「すごくできる人」と、多くの「以前よりもできない人」を生む仕組みであった、と言わざるを得ません。
先生の責任だ!と(短絡的に)いうつもりは毛頭ありません。
前半でも引用した苅谷剛彦教授の文章で述べられているように、マニュアルで教えることに慣れていた先生にいきなりオーダーメイドを求めるのは性急すぎたんです。
やるのであれば、徐々に。
制度から運用への落とし込みに、この「徐々に」という部分が欠落していたため、「子どもの(全体的な)学力」が落ちてしまった、と思っています。
そもそも、「ゆとり教育」自体、一部のエリートが他のフツウの人を引っ張るような社会を誘発する教育なのです。
好みの問題はさておき、そういう社会形成の仕方も「アリ」だとは思います。
公教育の投資効果としては、「日本社会全体の学力」が向上すればいいわけで、「ゆとり教育」がきちんと実行されていればその可能性だってあったわけですから。
しかし、「ゆとり教育」の実行結果を振り返ってみると、エリートが「できない人」の負の部分を清算しきれない社会を、こと日本においては誘発する方向に導いてしまうリスクのほうが高かった、と感じます。
早い話、日本社会の生産能力の低下を招いてしまう、と。
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2010.04.17
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