日本は兵役のない幸せな国だ。であるなら、45歳を超えたら皆、サラリーマンを辞めなければならない国民制度をつくったらどうだろう。この国には、仕事に対し「豚のコミット」のできるたくましい人間が必要なのだ
冒頭にまず、アメリカンジョークをひとつ;
In ham and egg, the hen is only participating, but the pig is really committed.
―――ハム&エッグにおいて、メンドリ(雌鶏)は参加しているだけだが、ブタは本当にコミットしている。
いつごろからか、ある種の「飲み会」が面白くない。ある種の飲み会とは、サラリーマン率の多い飲み会である。
酒席での話題はおおかた仕事や組織の話になる。
「給料が出て当然」、「交通費が支給されて当然」、「ペン1本から個人パソコン1台まで取り揃えてもらうのが当然」、「これだけ仕事やってんのに会社は・・・」、「これだけ我慢してんのに上司は・・・」。彼らの愚痴やら正論は、こうしたマインドベースがあって出てくる。
それを聞かされる私のマインドベースは、「給料が出るのは当然ではない」、
「交通費が支給されるのは当然ではない」、「ペン1本から個人パソコン1台まで取り揃えてもらうのが当然ではない」、「これだけ仕事やってんのに会社は・・・と自分の事業を責めてもしょうがない」、「これだけ我慢してんのに上司は・・・そもそも私に愚痴を言う上司はいない」。
独立して自分の事業を起こした私(事業主)のベースと雇われ身である彼らとのベースは根本的に違うのだ。
一方、私にとってベンチャー起業者や独立事業者の集まりは面白い。皆、リスクを一身に背負っている。会社員を「ビジネス兵士」と呼ぶなら、こちらは「事業侍」だ。侍同士が持ち合う、世を渡る緊張感や、孤独感、スピンアウト意識、妙な美意識や誇り、アウトロー感覚、賭博的な人生感覚、無常観……。
私はここでサラリーマンを揶揄するつもりはまったくない。(むしろ私も、サラリーマン時代にいろいろなことを勉強させてもらったからこそ今日の自分がある。独立において、サラリーマンというプロセスは重要なものだ)
しかし、サラリーマンという生き方と、事業主という生き方の間には、いやおうなしに大きな溝がある。
サラリーマンはどこまでいっても、やはり、事業は組織のものであり、リスク(特に資金的なリスク)は組織が抱えてくれるものであり、その関わり度合いは「メンドリ的」なのだ。一方、事業主は、自分の事業に自分のすべてを賭して「ブタ的」に関わる。
両者の仕事に対する必死さ・緊迫感に違いが出るのは当然と言えば当然かもしれない。それにしても事業主になってみて、よく見えてくること、強くなれることがたくさんある。
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2010.03.20
2015.12.13
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。