企業向けにコンピュータ・ソフトウェアの販売/サポートを行う株式会社アシスト。今でこそ女性を戦力にする企業は多いが、アシストでは1980年代の創業間もないころから女性の活躍が目出つ。現在、そのトップが森沢久美子。社内の女性社員、そして営業マンが手本とする森沢のこだわりの「自分磨きの仕事術」とは。
■月収半額でスカウト!?
森沢は短大卒業後、やる気満々で大手旅行代理店に入社した。しかし、当時、何を提案してもまったく通らず、1つの歯車であることに苛立ちを覚え、1年8ヶ月で見切りをつけてイギリスに留学した。帰国後は法人・個人向けの英会話教室を大阪で立ち上げ、その時の顧客企業の一社が大阪営業所を開設して間もないアシストだった。
アシストに出向いて社員に英会話を教える一方で、スポットで翻訳も頼まれるようになった森沢は、ある日社長のビル・トッテンから入社の誘いを受ける。
『英会話教室で月収40万円くらい稼いでいたのに、アシストが提示した月収は16万円。でもビルさんから、「英語は道具に過ぎないから長く働き続けるにはもう1つ何かを身に付けたほうが良い。それにはこれから伸びるコンピュータが絶対に良い」、そう言われて入社を決めた。コンピュータはまったくわからなかったけれど、大きな可能性がある分野だと思ったし、社員と接してアシストの社風に触れ、この会社なら仕事も任されてバリバリやれるのではと。新しいことへの好奇心からの転職だった』
■翻訳者からインストラクターへ
森沢が入社した当時は、まだIT業界という括りはなく、コンピュータ利用が盛んになり始め、日本企業でようやく「パッケージ・ソフトウェア」(既製品のソフトウェア)の採用が始まった時代だった。アシストでマニュアル翻訳に携わるうちに森沢は、英語は理解できてもコンピュータがわからない、という壁にぶちあたる。
コンピュータに関する分厚いマニュアルを広げて技術を一から学ぶという方法もあったが、森沢はそれよりもアシストが売っている製品を徹底的に学ぼう、そのためにソフトを購入した顧客に使い方を教えるインストラクターになりたいと上司に談判する。
当時インストラクターは全員技術者で男性。技術もわからないのにと、その希望はすぐに却下された。会社としては当然の判断であろう。顧客との密なコミュニケーションが求められる現場に、そもそもソフトウェアを知らない翻訳担当の女性社員を出向かせるわけにはいかないはすだ。しかし、森沢はねばった。『納期通りに翻訳をして、製品の勉強は夜するからと言い続け、実際に夜の9時、10時になってから残業組の男性技術の社員に質問をしたり、レクチャーを受けながら製品の勉強をした』
こうして森沢は言い出してからなんと1ヶ月半後にはインストラクターとしてデビューする。周囲の心配をよそに、これが意外と顧客から好評だったという。『技術がわかる人が教えると説明をはしおることがあるけれど、私にはわからない人の気持ちが良くわかる。だから納得がいくまで教え方を工夫したり、教材を色分けしたり。お客様の目線で、というのをここでみっちり学んだようなもの』と当時を振り返る。
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株式会社アシスト
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