12月末に閉店する西武有楽町が入っている有楽町マリオン。その大家である朝日新聞と松竹は10月末に後継店として駅ビル運営の「ルミネ」を選んだという。
<有楽町マリオン「西武」跡に「ルミネ」新店-2011年秋オープンへ>(2010年11月11日:みんなの経済新聞ネットワーク・銀座経済新聞)
http://ginza.keizai.biz/headline/1293/
上記の記事にもあるように、<家電量販店大手「ヤマダ電機」が出店へ意欲を見せたことなども報じられ、今後の展開に注目が集まっていた>のであるが、朝日新聞と松竹の決め手は何だったのだろうか。
上記記事と同日・11月11日付日本経済新聞夕刊コラム「ニュースの理由」にそのコタエが記されていた。タイトルは「ルミネ、有楽町に来秋出店」とある。ルミネが提示した出店条件は大家側にとって最上ではなかったというが、それにも関わらず選ばれたのは、「駅ビル変身、手腕に白羽」という記事のサブタイトルが示すとおりだ。有楽町西武が開店したのは26年前。当時の<駅ビルは商業施設としての館の統一感が取れておらず「ダサイ場所」に近かった>(同・日経記事)とある。それを今日のように大変身させたのが、大家から「白羽の矢が立った理由」である。
西武有楽町店の閉店以外にも、ここ数年で閉店した百貨店は多く、生き残りをかけた経営統合も相次いだ。日本百貨店協会が発表している「平成22年9月 全国百貨店売上高概況」という速報を見ると、地域別は全て対前年マイナス。商品別でもサービス、商品券、その他以外全てマイナス。壮絶な状況である。
http://www.depart.or.jp/common_department_store_sale/list
「百貨店」という言葉は、「Department store」の訳語だ。本来直訳すれば、「部門商店」だが、「何でも揃っている」との意を込めて「百貨」の文字が用いられている。そして、日本百貨店協会が設立されたのが1948年。第二次世界大戦終戦の3年後だ。その後、戦後復興期(1945年~1955年)、 第一次高度成長期(1955年~1965年)、第二次高度成長期(1965年~1970年)と歴史は進む。
モノがない時代から、モノが大量に生産され、大量に消費されていく時代への変遷。「迅速な生産と供給」がビジネスの成功のカギ(KSF=Key Success Factor)であり、作れば売れる、並べれば売れた時代であった。百貨店は「小売の王様」と呼ばれていた。1973年、79年の2度のオイルショックもあり、70年代は低成長安定の時代とも呼ばれたが、消費は1986年からのバブル景気で消費は頂点を迎えた。
西武有楽町店の入居した有楽町センタービル(マリオン)の開業が84年。バブル初期である。当時は「迅速な生産と供給」から、商品や広告での差別化へと企業課題が変化した。誰もが同じモノを欲しがった時代から、「十人十色」や「一人十色」といわれた「多様な消費」に応えた百貨店の最後の黄金期である。
91年にバブルが崩壊し、93年から本格的な不景気、いわゆる「失われた10年」に突入し、消費は低迷した。モノが売れない環境で、「百貨」を揃えることは弱点となる。その頃から、取扱品目を絞った「七十貨店」や「三十貨店」という考え方が台頭してきた。事実、有楽町西武は延べ床面積が狭いこともあり、1995年にレディースファッション特化の戦略に転換した。
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2015.07.10
2015.07.24
有限会社金森マーケティング事務所 取締役
コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。