「人材」と「人財」の違いを考える

画像: Dick Thomas Johnson

2010.11.22

組織・人材

「人材」と「人財」の違いを考える

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

「ジンザイ」には2種類ある。事業組織にとってヒトを“材”として扱うか、“財”として扱うかは大きな違いだ。そして働く1人1人にとっても、自分が“材”になるか“財”になるかは人生・キャリアの大きな分かれ目となる。

◇ ◇ ◇ 考える材料 =1= ダイヤモンド2つの価値 ◇ ◇ ◇

 ダイヤモンドには2つの「価値」側面がある。つまり、ダイヤモンドは高価な宝石として取り引きされる一方、研磨材市場においても日々大量に取り引きされている。前者は「財」(たから)としての価値が扱われ、後者は「材」としての価値が扱われているのだ。1粒1粒のダイヤモンドは、産出されるやいなや、「財」商品に回されるか、「材」商品に回されるか決められてしまう。

 では、この両者の境界線はどこにあるのか?―――それを一言で表せば「代替がきく」か「きかない」かである。
 
 「財」はその希少性・独自性から代替がきかない。だから大粒のダイヤモンドは宝飾品として重宝され、高い値段がつく。石によっては、家宝として代々受け継がれるものもある。一方、研磨材として利用されるダイヤモンドは、その1粒1粒の大きさや品質に特出したものがなく、その採掘量は多い。その硬いという性質から研磨材に回されるわけだが、使い減ってくれば、やがて新しいものに取り替えられる運命にある。消耗品としてのダイヤモンドの姿がそこにはある。

◆代替されるから「材」/代替されないから「財」
 ダイヤモンドにみる「財」と「材」の価値差は、私たち一人一人の働き手にもまったく同じことが当てはまる。―――「その仕事はあなたでしかできないね!」と言われる人は、代替がきかないゆえに「人財」である。逆に、「その仕事はあなたがやっても、他の人がやっても同じ」と言われてしまう人は、代替がきくゆえに「人材」なのだ。

 景気に左右されず、いつの時代にも「財」としてのヒトは足りないものだ。ピーター・ドラッカーは『プロフェッショナルの条件』の中で医療機関を例に出し、病院には技術機器が多く投入されているが、ヒトは減っていない。逆にそれを使いこなす高度で高給なヒトが余計に必要になっている旨を書いている。

 労働力はいま、はっきりと二極化していく流れになっている。人「材」は若くて安い労働力、もしくは機械に取って代わられ、飽和していく。その一方、人「財」はかけがえのない価値を持つがゆえに、ますます尊ばれ、逼迫していく。自分が「材」に留まるのか、それとも「財」に昇華していくのか、ここは人生・キャリアの重大な分かれ目となる。

 “Always be a first-rate version of yourself, instead of a second-rate version of somebady else. ” (他人の物真似で二流でいるより、自分らしくあることで一流でありたい)―――ジュディ・ガーランド(米国女優)

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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