多くの企業が、今回の震災に対する義援金拠出を表明しています。すでに記事化した通り、僕の勤務先(Z会)でも2,000万円を寄付することを決定しております。 この決定を皆様に告知する際に、どのような姿勢で臨んだか…あくまで一社員として僕ができることは、と考えた上での一部始終を。
Z会の義援金を巡る秘話で述べた事実を、ファインドスターさんにニュースとして取り上げていただきました。
Z会、創立80周年のプロモーション費用を被災地への義援金に 「これまでありがとう、そしてこれからもよろしく!」の想い
http://www.findstar.co.jp/news/syosai.php?s=202575
他にも、ツイッターでリツイートしてくださった方、僕のツイッターに直接@レスを投げていただいた方、ブログで取り上げてくださった方…
全てに、深く、深く、感謝しています。
先にこの記事で書きたいことを申しあげます。
“今回のような経緯で”「義援金を送ったこと」は、PRすべきだと思う、ということです。
「義援金を送ったことをPRする」という事実だけ見ると、被災者をダシに…と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
でもそれは、「被災者をダシにつかうこと」が先にある、悪質な意図の下で実行された寄付をPRする場合です。
もちろん、被災者には、寄付金のもつ性格云々に関わらず、寄付金があるだけでありがたいことになるとは思うのですが、悪質な意図の下での寄付をPRする場合、必ず、必ず、情報の受け手に「やな感じ」を与えます。(そんな匂いがするものです)
つまりは、PRの効果を最小化するような雰囲気が形成されます。
こうなると、義援金拠出の大元になっている「お客様」のお金を、企業活動として無駄に使ったことになり、最終的にはお客様へのサービス向上にブレーキをかける要因になります。
だから、不謹慎云々と言った感情的な理由ももちろんですが、理屈においても、「被災者をダシに使い義援金を送ったことをPRする」計画は、絶対に止めなければいけません。
一方、今回のZ会の場合は、若い社員の想いが先行しての義援金拠出上申。
その想いに応えるために幹部陣が即座に実行を決断。
そんな、被災地に対する「なんとかできることをしたい」と思う想いが先行して決定したことになります。
このような経緯の下で決められた支援を取り巻く関係者は、一様に「控えめ」です。
そっと2,000万寄付すれば…寄付金とはそういう性質のものではないか…的な声も社内にいて実際に聞こえてきました。
寄付と言う行為だけ見れば確かに「ひっそり、そっと」が最もキレイです。
しかし2,000万は企業活動継続の原資であり、大元はお客様から頂戴したお金であることを鑑みると、よりお客様によいサービスを提供できる企業として成長するためには、2,000万円使った行為に対し何らかの(企業としての)効果を上げることも大切だと思います。
繰り返しになりますが、最終的にはそれが最も、お客さまのためになりますから。
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