「人生の幸福は“鈍感さ”で決まる。この世は鋭い人間ほど不幸を味わうように出来ている。だから幸せになりたかったら、ゆめゆめ鋭い人間にならないことだ」と悪神は耳元でささやく……
*** 悪神のささやき〈その1〉***
「人生の幸福なんてもんは、“鈍感さ”で決まるのさ。
この世は鋭い人間ほど不幸を味わうように出来ているだろう。
だから幸せになりたかったら、ゆめゆめ鋭い人間にならないことだね。
幸福は絶対量じゃなく、充足度だからさ。
高いものを求めれば求めるほど、現実との差で苦しみが増す。
十の者が、殊勝にも百を求めるところから不幸は始まるんだ。
十の者が、六か七で満足していれば、それはもう幸福そのものさ。
野心にしても、向上心にしても、
程々に留めておくのが賢い生き方ってもんだ」。
*****
アリやミツバチ、そして人間の社会には、『2:8(ニ・ハチ)の法則』なるものがあって、真面目に働く者が2割・テキトーに働く者が8割で社会が回っていくらしい。ちなみに、アリの巣から2割の働き蟻を取り除くとどうなるか?───すると不思議なことに、真面目な働き蟻が2割現れて巣全体が存続していくという。
……じゃ、いつまでもしぶとく、テキトー組に居座っていたほうがラクに生きられる、そう考えたくもなる。
確かに、会社組織を見渡してみても、問題意識が鋭敏で、仕事ができる人間にはどんどん仕事が集まってくる。そのために、仕事で身体を壊すのは決まって、鋭敏なできる社員だ。会社のテキトー族が過労で倒れることなど聞いたことがない。
組織内でヘタに向上意欲をもち、成長だ、変革だなとど責任感を背負って頑張るより、叱られない程度・クビにならない程度に鈍くテキトーに立ち回る側にいたほうが、シアワセなサラリーマンライフを送れる───これが組織の中の処世術なのかもしれない。
“テキトー”という言葉が悪ければ、”ホドホド(程々)”という表現でもいいのだが、いずれにせよ「ホドホドは身を助ける」という生き方が勝利を得ている現象を私たちは少なからず目にする。
しかし、実際のところ、「あいつは適当にやっていつもラクをする人間だ」とか「うちの部長は保身的で何もせず、ただ部下を厳しく働かせるだけの上司だ」とか、他人にそういうレッテルを貼って、人と自分を分断させることはあまり建設的ではない。むしろ、これは「己心の対話」としてとらえたい。
『2:8の法則』の「2」の方に回る生き方か、「8」に回る生き方か。「鋭く・上を目指して」の行動を起こすのか、「鈍く・テキトーに」の行動で流すのか───。私たち一人一人は、心の内で常にその綱引きをしながら一瞬一瞬、一日一日、一年一年を生きている。私たちは誰しも、「強い自分」と「弱い自分」、「打ち勝とうする心」と「流される心」の2つをもっているのだ。そして、その両者の綱引きが、10年、20年という時間単位を経て、各々の人生コース・生き方の模様が独自のものとして固まっていく。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。