時代が喪失しているものの中で1つ大事なもの挙げるとすれば、それは「健(すこ)やかさ」だ。「健やかさ」などという普遍的だが退屈な価値で注目・支持を集めるのはラクな仕事ではないが、爛熟から凋落のコースを変えるには不可欠ものだ。
アメリカのロックバンド、イーグルスを率いたドン・ヘンリーは、時代を見る目を持って、「喪失」を見事に歌うミュージシャンだったように思う。
『ホテル・カリフォルニア』の中に出てくる有名な一節───
“We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine.”
(支配人に自分の好みのワインを注文するのだが…)
「あいにくそのようなお酒(精神)は1969年以降ご用意しておりません」。
ここに出てくる「spirit(スピリット)」は、「酒」と「魂・精神」との掛け言葉になっている。伝説のウッドストックコンサート開催に象徴される1969年以降、アメリカは爛熟した物質文明・商業主義の中で、何か大事な魂(スピリット)を失ってしまった───そんな憂いを彼はこの歌詞の裏に込めた。
また、ドン・ヘンリーは、引き続き1990年にブルース・ホンズビーとの共作による『The End of the Innocence』でもグラミー賞を受賞した。「イノセンス=無邪気さ・無垢であること」の終わりを歌ったこの曲は、やはり時代に対するメッセージ性を感じさせる。
* * * * *
さて、時代が喪失しているものはさまざま指摘できるだろうが、私がその中で1つ挙げるとすれば、それは「健(すこ)やかさ」だ。私がここで言う「健やかさ」とは、次のような意味合いである。
○生き生きと強いこと
○素直であること
○明るく開けていること
○善的なことに向かっていること
○自然と調和していること
現代社会が抱える問題の多くは、「反・健やかさ」あるいは「離・健やかさ」の力が増長、圧迫、堆積して起こっているように私には思える。「健やかさ」というのは、レトロで野暮ったい観念だろうか。いや私は、こういう時代だからこそ、逆に清新であると感じる。
健やかな身体、健やかな心、健やかな思考、健やかな生活、健やかな社会。
健やかな詩、健やかな絵、健やかな物語、健やかな食べ物、健やかな会話。
……こういったものは、ほんとうのところ、いつの時代にあっても人びとが求めたいものだ。しかし、普遍的なものほど退屈になりやすい欠点がある。問題はいかにそれを新しい気持ちで、新しい形にして求めていくかだ。
私たちはブータン国王夫妻が来日したとき、その国が「国民総幸福量」を指標にして国づくりを行っていることをうらやましく思った。また、映画『ALWAYS三丁目の夕日』を観て、古き良き昭和の日を懐かしんだりもする。私たちはこうした「健やかさ」に触れて、自分たちは、もうそこには戻れないんだと溜息をつく。しかし、いま大事なのは、いろいろなことに対し、平成ニッポンの「健やかさ」を新しい形で生み出すことは可能ではないかと考える「健やかさ」である。少なくともそうしなければ、この国の21世紀は開けてこないのだ。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。