スティーブ・ジョブズが「禅」に傾倒していたと日本人は誇らしげに語るが、当の私たちはどれほど自国が育んだ思想・哲学を知っているだろうか。きょうはその1つ「因果倶時・因果一如」を見つめてみる。
〈その壱:今年の勝負はすでに決まっている!?〉
2012年も明けて、はや2月半ば。プロ野球のキャンプが沖縄や宮崎で始まっている。選手たちにとって、1月の自主トレーニングと2月のキャンプはとても大事な期間だ。昨年、セ・リーグは中日ドラゴンズが大逆転で優勝を果たしたが、優勝したときの有力選手たちの感想は、「あれだけの厳しい練習をやってきた自分たちだから、優勝できなきゃおかしい。優勝できて当然」といったようなものだった。落合博満前監督も「あの猛練習に報いるよう優勝させてやるのが自分の責務」と語っていた。
彼らの中では、2月のキャンプをやり切った時点で、すでに優勝が決まっていたのだ。つまり、勝つ原因をつくるのと結果が同時であったということである。
◆「法華経」のネーミングに隠されたもの
ちょうどいま、私はある記事の執筆で「メタファー(比喩)」について書いている。そこではメタファーの一例として仏教経典の1つである『法華経』を取り上げている。なぜならそれは、なるほどよく聖人によって考えられたネーミングだからだ。
『法華経(正式な中国語訳の名称:妙法蓮華経)』という命名はメタファーである。法華経の原語は、古代インド語で「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」=「白い蓮(ハス)の花のような正しい教え」。私たちは京都や奈良のお寺に行って仏像をよく見ると、それが蓮の上に座していることに気づく。だが、なぜ仏教を象徴する植物が蓮なのだろう───?
蓮は泥水の中で育つが、泥に染まることなく、美しい白い花を咲かせる。つまり、泥水は煩悩に満ちる現実の世界のことで、その中に生きつつも仏性という花を咲かせていく人間の姿を蓮に込めたかったのだ。
加えてもう1つ大事な要素がある。蓮という植物は「花果同時」という特徴を持つという。すなわち、多くの植物が開花後、受粉プロセスを経て実を結ぶという時間差があるのに対し、蓮は花が咲くのと同時にすでに実を付けている。これは仏教が説く「因果倶時(いんがぐじ)」、「因果一如(いんがいちにょ)」とも言うが、すなわち「原因と結果は一体で不可分のものである」というコンセプトに符合するのだ。
◆「If you build it, they will come.」
昨年の中日ドラゴンズのリーグ優勝は、2月時点ですでに決まっていた───この見方が、仏教思想でいう「因果倶時」だ。もちろん物理的には、4月からリーグ戦が実際に始まって10月に優勝が決まる。この時間差について仏教は「因果異時(いんがいじ)」という対の概念を用意している。
こうした原因と結果を一体化してとらえる観念は、東洋世界が生み出した優れた観念ではないかと思う。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。