「人が育たない」というのは、突然発生した問題ではなくこれまでのマネジメントの結果と捕らえるべきで、組織のマネジャーは自己に矢印を向けるべきです。 我々が本当に育てたいのは、自ら学び成長していく人間であり、制度や仕組だけでは人は育ちません。どうすれば人が育つのかという問に正解はありませんが、マネジャ自身が考え実行し、今よりもっと部下や後輩の育成のために時間を使うことが本質的に重要です。
「育たない」のではなく「育てられない」
私は職業柄、ユーザ企業の情報システム部門や情報システム子会社、SI企業やソフトハウスなど情報システムの開発に係わる組織の長やマネジャーの方々とお話をする機会が多いのですが、最近これらの方々が一様に口にされるのが、「若手が育たない」、「プロジェクトを任せられる人材がいない」、「どうやって人を育てたら良いか?」など、人の育成に関する悩みです。
学生の学力低下や若手の帰属意識、モチベーションの低下などがメディアでも取り上げられ問題視されていますが、私はまずこの「育たない」という表現に対して違和感を憶えます。
小学生の時、休み時間に友達とふざけて教室のガラスを割ってしまったときのこと、職員室にいる担任の先生のところへ行って「先生、ガラスが割れました」と報告すると、先生は「ガラスはひとりでに割れたりしない、『ガラスが割れた』のではなくて『ガラスを割りました』と言いなさい。」としかられたことがあります。
それと同じように、本来マネジャーの口からは発せられてしかるべき言葉は、「育たなかった」のではなく「育てられなかった」ではないかと思うのですが、「若手を育てられなかった、一体我々の何が間違っていたのだろう?」という趣旨やニュアンスの言葉を口にされる方は今のところ一人もいらっしゃいません。
私はマネジメントの最大のピットフォールは、自己に対して矢印を向けなければならないことに気付かずに、他者に対して矢印を向け続けてしまうことではないかと思います。また、育成は促成栽培のように期の初めに教育を実施したら期の終わりには成長した人材が収穫できる、という単純なものではありませんので、「人が育たない」というのは、最近突然発生した問題ではなくこれまで積み重ねてきたマネジメントの結果と捕らえるべきでしょう。
何が問題なのか?
では、マネジメントに矢印を向けると一体何が問題なのでしょう?と言って、往々にして返ってくる答えは、「人材育成の計画がない」、「人材育成の仕組みがない」、「人材育成プロセスが機能していない」、「教育プログラムが良くない」、「人事評価制度が現状と合ってない」などなのですが、これは本当にそうなのでしょうか?逆にこれらの制度や仕組があれば、人は育つのでしょうか?
私の考えは否です。
何故なら、我々が心の底から育てたいと願っているのは、プロジェクトマネジメントのスキルがあり、上流工程の設計もこなせる、というような固定化された能力を持つ人材ではなく、自分が成長するために何が必要か自分で考え、そして自ら学んでいく、そういう自ら成長していく人間だからです。
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