以前のこと… 時給○円(○には800円とか900円とか、ファミレスやファーストフード並みのアルバイト料金が入ります)で働いている大学生のアルバイトさんと、こんな会話を交わしました。
私:(数ヶ月働いてきたのを見て)「以前よりは少しずつ作業に慣れてきたと思いますけど、正直なところ、まだ時給○円として求める水準に達していません。工夫したり、スピードを早くするよう、より一層頑張ってね。アルバイトの契約更新の時期ですけど、どうしますか?」
学生:(少しの沈黙のあと)「…辞めます。これ以上続けても、時給○円の働きができるとは思えないから…」
(性格は素直で優しい方ですので、反抗的な口調ではなく、寂しそうな口調で)
私:「いや、○円の働きは“できるようになればいい”のであって、それを判断するのは当方ですので、やりたいか、やりたくないか、それを言ってほしいんですけど」
学生:「続けたいです…」
素直で優しい方だからこそ、もし、この記事をどこかで御覧になっているのであれば、
「自己主張をし、そして、“ある程度の給与に見合うだけの能力を身につけよう!”と、自分に少し鞭打って遮二無二やらないと、後になればなるほど大変だよ。。。時給○百円が厳しい、なんて、寂しいことは言わないで…」
とは伝えたいのですが、それはさておき、「普通の社会人にも持っていて欲しい、けれど持ち合わせていない人も多いよなあ…(とくに、年功序列賃金に慣れてしまった方々に)」と感じる姿勢が見て取れました。
「かつての自分」と「今の自分」を比較して給与を要求するのではなく、あくまでも「周りを基準」とした評価を素直に受け止めたところです。
これがあれば、成長できるんです、きっと。上記の学生は、その後アルバイトを続け、毎日少しずつ、成長してくれました。
「自分はこんなに頑張っているのに」(だから給与上げてよ)
と、「自分の頑張り」を主張する人の多くは、「今までの自分」と比較して「今の方が大変だ」という根拠で、「もっと給与をもらいたい」と主張する傾向があります。
しかし、給与は「昔の自分」と「今の自分」を比較して、だけではなく、相対比較で決まるところも多分にあります。
その方の成長より技術の改善度合いが進んでいる(=キャッチアップしなければいけない技術の進歩がある)にも関わらず、社会全体が成長していない(=GNPが停滞している)のであれば、相対比較でその方は「退歩」しているので、給与は「下がる」のが理屈。
そして何よりも
その方より他人がもっと成長していれば、(会社の利益が上がらない限り)その方の給与は「下がる」のが理屈。
そうじゃないでしょうかね。
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