働く目的が「欲する物の獲得」に向うのか、「望むべきことの発見・創造」に向かうのか───私たちの心の中は、この2つの複雑微妙な混合である。働く意識が成熟化するにしたがって……。
「私たちは仕事によって、望むものを手に入れるのではなく、
仕事をしていくなかで、何を望むべきかを学んでいく」。
───ジョシュア・ハルバースタム 『仕事と幸福そして人生について』
私が研修の中でよくやるディスカッションテーマの1つが───
「お金を得ることは、働くこと(仕事)の目的か?」である。
ありふれたテーマのようだが、実際、このことについてしっかりと討論をする機会は日常ほとんどないように思う。だから、研修でじっくり時間をとってグループでやってみると、実に熱くなるし、さまざまな考え方が出るので面白い。各グループに結論を発表させるのだが、おおかた、グループで統一の見解は形成されず、「こんな意見も出ましたが、一方でこんな意見もあり、なかなかまとまらず……」のような発表になる。いや、それでいいのだ。このテーマについて、もしすんなり統一見解が出せるようなら、この人間社会はそれだけ薄っぺらなものだという証拠になってしまう。金に対する意識や欲の度合いが人により千差万別だからこそ、この人間社会は複雑で奥が深いとも言える。
だからこの問いに唯一無二の正解はない。講師である私ができることは、古今東西、人は労働とお金(金銭的報酬)、あるいは金欲についてどう考えてきたかを、偉人や賢人たちの言葉を紹介しながら、個々の受講者が自分にもっとも腹落ちする答えを見つけてもらうことだ。各自が「きょうからもっと働こう」「もっと稼ごう」と思える解釈を引き出せたなら、このディスカッションは成功だ。
私が引用する偉人・賢人たちの言葉はさまざまあるが、その1つが冒頭に掲げたハルバースタムのものである。米・コロンビア大学で哲学の教鞭を執る人物だけあって、実に味わい深い表現だと思う。
ここには2つの仕事観が描かれている。1番目は「望むものを手に入れる」ことが目的化した働き方だ。この目的は、必然的にお金を多く得たいという欲望と直接結びついている。「働くこと」はその手段として置かれる。
2番目の仕事観は、「何を望むかを学んでいく」ことが目的となっている。このとき、学んでいくプロセスはまさに「働くこと」そのものに内在しているので、「働くこと」は手段ともなり目的ともなる。そのプロセスに没頭して面白がる、気がつくと、お金がもらえていた。それがこの仕事観の特徴だ。
私自身、最初メーカーに就職し、次に出版社に転職をした。メーカーにいるころは、ヒット商品を出すことに熱中し仕事に励んだ。出版社に移ってからは、よい記事を書き、よい雑誌をつくることに専念した。多忙でストレスもあり、きつい仕事でもあったが、面白がれる仕事をして給料がもらえるなら幸せなことだといつも思っていた。
ただ、20代から30代半ばまでは、自分が望むべきこと、つまり夢や志、働く大きな意味のようなものはなかなか見つけられなかった。いろいろ見えてきはじめたのは30代の終わりころ。いくつかの出来事が重なり、「自分が望むべき道は教育の分野である」との内側からの声がしっかり聞こえてきた(それはいま振り返ると、必然の出来事だったように思う)。
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。