会社に依存せずに生きよう
先日のことです。なぜだかふと毎日「時間がある」ことに気づきました。もちろん、いつも何かをやっていなければ気が済まない性分ですから、休むことはほとんどありません。アウトプットの量を見ると、年々増えていると思います。しかし、それにしても、なぜだか時間に余裕がある。アウトプットに割く時間が多いのでその量が増えるのはあたりまえかもしれません。
なぜだろう。考えると、昔と違いが一つありました。簡単にいうと、「会議がないこと」です。本当かよ、と思いながら手帳を見直しますと、たしかに昔はたくさんの会議に忙殺されていました。昔の手帳には「会議」だらけです。もちろん、社外との会議はまだ良いかもしれません。ただ、社内会議が多かったこと。それがないので、そりゃ時間は浮くはずです。
いま私は数人で仕事をまわしています。会議の必要はほとんどありません。あれほど必要だ、と思っていた会議ですが、それがなくなった今、思うに生産性はほとんど変わっていません。むしろ、空いた時間で生産量は上がっています。
振り返ると、会議の目的は「全員で合意した雰囲気を創りあげる」以上のものがあったのか疑問です。また、多くの会議はフリーディスカッションになっていますが、本来は個々人が熟考を重ね議論に参加しなければ会議の意味などありません。もっといえば、会議の大半は上意下達にすぎません。こういうと失礼ですが、会議がなくなったこの爽快感はちょっと表現できないほどです。
それで私はここから「だから会議なんて不要だ」と結論づけたいわけではありません。というのも、続いているものは、それなりの意味があるからです。では会議の意味とは何か。異論があるでしょうが、根底には孤独を紛らわすためにある、と私は思います。会議に参加すればどこかに帰属している事実を確認できます。チーム感を醸成もできます。これは皮肉ではなく、重要な装置です。
独立して生きると、しばらくは(数人ですらなく一人で仕事をする期間)莫大すぎる時間を経験することになります。帰属感はもちろんなく、人によってはそれに耐え切れないケースもあります。逆にいえば、会社に依存せずに生きるためには「会議がない、莫大な自由時間に耐えられる」性質である必要があります。何をやっても自由、勝手、というのは意外に寂しくつらい側面もあります。
そういえば、もともと私は会議が嫌いで、その意味では適合していたのかもしれません。
「会社に依存せずに生きる方法」と書きました。私は独立だけが良いとは思いません。会社員の素晴らしさもあります。むしろ、フリーと会社員が自在に移り変わられる社会が良いと思っています。ただ、それでもなお「会社に依存せずに生きる方法」が知りたければ--。それはまず孤独に耐える覚悟をすることです。冗談ではなく、私はこれが実は真っ先に必要ではないかと私は思うのです。
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2009.10.27
2008.09.26
未来調達研究所株式会社 取締役
大阪大学卒業後、電機メーカー、自動車メーカーで調達・購買業務に従事。未来調達研究所株式会社取締役。コスト削減のコンサルタント。『牛丼一杯の儲けは9円』(幻冬舎新書)など著書22作。