いま、あらためて「夢・志」考

画像: N.Muray

2014.05.28

仕事術

いま、あらためて「夢・志」考

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

夢や志を抱けない、抱きづらい、抱くのが野暮、抱かなくても幸せ……夢・志に対しての考え方や態度は人さまざまだ。ここではあらためて考える材料を3つ提示する。

【考える材料1】
夢を語ることが野暮になった?



夢や志はいまや死語、というか人をシラけさせる禁句になりつつあるのだろうか。私は企業内研修を生業とし、普段、さまざまに会社員、公務員たちと接している。研修の場で「みなさんの夢は何ですか?」などときいてみるのは野暮なことのように感じる。ほとんどの人は苦笑いをして「いまさら、なんでそんな質問を?(それより、目の前にやらなきゃいけない仕事が山積している。きょうは、それをいかに効率的に処理するかのスキルを覚えさせてくれる研修じゃなかったの?)」といった反応だ。

だが、そこをあえてゴリ押しできいてみる。「マイホーム」という返答は依然多い。「田舎暮らし」とか「海外移住でのんびり」なども続く。そうした庶民派の夢に対し、「ITベンチャーを起業して一攫千金当てたい」といった野心派の夢が少数出てくる。また、「発展途上国で学校をつくる」といった正統派の志もまれに遭遇する。いずれにせよ、社会人となって仕事を5年や10年、20年とやりだすと、夢や志を語る口は次第に閉ざされがちになる。

ちなみに、企業内研修をやっていて、特に20代に対して感じることだが、多くの彼らは夢や志を描くことからは遠い。が、「成長したい」という欲求は強い。正確には、「成長しないことへの焦り」を強迫的に感じている。ルーチン仕事の繰り返しで、新しいスキルや経験知が積み上がっていかないことに恐怖感があるのだ。逆に言えば、断片的にでも何か知識・技能が身につくことが普段の職場で起こっていれば、彼らはとても安心する。


「あなたの夢は何ですか?」という問いに無垢に反応できるのはいつくらいまでだろう。子どものころなら、「プロサッカー選手になってW杯に出る!」「宇宙飛行士になりたい!」と素直に言えた。それがいつしか、中学生にもなると現実の社会と現実の自分がわかってきて、子どものころの純粋な無知さ加減を気恥ずかしく思う。それ以降、他人の前では夢などということを口にしなくなる(もちろん、私を含め一般の多くの人間はということで、幼少のころから夢を抱き、成就させる人間はいる)。

実は有能で意欲の高い人間が、「夢」という言葉を毛嫌いしている場合がある。「夢=現実味のない絵空事」「ドリーマー=現実可能性の低い願望に漂っているだけの人」というイメージを持っているからだろう。以前、研修で次のように言う受講者がいた───「僕は夢を語れと言われるのが嫌いです。夢追い人と思われたくないので。でも、目標は持っています。実行したい目標なら言えます」。

夢・志という言葉のとらえ方は人によって異なり、意味的な広がりがある。それを図にしてみた。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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