人事出口戦略シリーズの2回目。今回は、首切り法の須要背景についてご説明しています。
過去のシリーズは下記からご覧いただけます。(弊社の自社ブログへリンクします)
人事出口戦略シリーズ1手切れ金と引き換えに解雇できる首切り法
解雇は、労使ともにロクな結末になりませんから、円満に別れられる作戦=人事の出口戦略が必要になってきました。
「人事出口戦略」
耳慣れない言葉です。それもそのはず、無かったのですから。
この人事出口戦略という用語こそありませんでしたが、辞めることを念頭に採用する(人事出口戦略と同じ)考え方は、古くからありました。
代表的なのが、定年制度。
独仏にも定年制度はあります(米英には-年齢差別になるため-ありません)が、
日本には隠居という風習があったためか、日本独自の雇用調整として、明治期あたりから自然発生し、大正から昭和初期にかけて約半数の企業が取り入れていました。
平均寿命が50歳以下の頃ですから、55歳定年は決して早い引退ではありませんでした。
どちらかというと
「辞めてくれ」
という事業主の要請よりも
「老廃業に耐えず」(しんどい。辞めさせてくれ)
という労働者側の懇望によるものだったようです。
平均寿命を基準に定年齢を定める危うさ(乳幼児の死亡率)は別問題としても、
「55歳まで働いたら辞める」(定年後は、収めた年金や貯金で食っていく)
ことを、労使共に前提として採用・就職し、年功序列と終身雇用と定年制度の三位一体型雇用が続いてきました。
この三位一体型の雇用は、長期的に安定した労働力を需給するシステムで、高度経済成長を支えました。
ところが、時代と産業が移ろい、終身雇用と年功序列が崩れると、定年制度も崩れ去るを得ず、60歳が一般的だった定年を、国は、
「65歳にしろ」
「さもなくば、定年を廃止しろ」
「でなければ、高齢者の継続雇用を社内で制度化しろ」
「以上三つの、どれかを選べ」
と法律に定めました(改正高年齢者雇用安定法/2006年4月1日)
背景には、OECD(経済協力開発機構)からの外圧(?)もありますし、年金や保険の枯渇問題もありますし、少子高齢化の問題もあります。
これに悲鳴を上げたのは、企業側で、その後のいきさつは、ご存じの通り。
人事出口戦略シリーズ③「人事戦略の入口には熱心で出口には無関心」派こちらからご覧いただけます
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2010.03.20
2015.12.13
成田 一夫
株式会社たまゆら 事業部長
株式会社たまゆら 事業部長。 「雇用問題を解決し社会に貢献する」をコンセプトにした「いいネしごとぎやフランチャイズ」の本部を統括。