慢性論評中毒症:採点魔はみんなに嫌われる

画像: photo AC: まんだむ さん

2018.06.30

ライフ・ソーシャル

慢性論評中毒症:採点魔はみんなに嫌われる

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/人も物も店も、その総体で、それだ。部分だけを変えたりはできない。だから、部分を否定することは、全否定するのも同じ。だから、あとは、それをそのまま受け入れるか、それとも、まるごと拒絶するかの決断。そして、受け入れるなら、自分がそれをどれだけ生かせるか。むしろ自分の技量の方が問われている。/

だが、長年、教員をやっている者からすれば、正直なところ、採点なんて面倒で仕方ない。まず、文科省の規定出席数で、評点対象外の学生を徹底的に排除。つぎに、レポートの提出数で、不合格確定を排除。こうやってできるだけ採点対象を減らしてから、レポートの内容をじっくり読む。たいてい、さして名文でもなく、むしろ自分の読解力の方が問われるから、疲れるし、時間もかかる。こんなこと、店や物、まして人になんかやっているほど、ヒマじゃない。

くわえて、受験競争を高得点でくぐり抜けてきた者からすれば、この世にあるのは、最後の入試決戦の結果、合格か、不合格か、だけ。合格すれば、91点でも88点でも、差のうちに入らない。逆に、不合格なら、90点でも60点でも同じこと。それ以前の模試や定期試験なんか、そもそもべつに高得点を狙う意味が無い。これらでは、つねに満点だけが目標。もちろん、現実にはそうもいかない。これらは、あくまで、どの分野で点を落としたか、自分の弱み苦手を見つけるためのもの。もっと細かく問題ごとに自分の点数を見る。たとえ良い点数でも、たとえば英文法が全滅だったりしたら、かなりまずい。

分野が異なるものを足した数字の大小になど、意味があるわけがない。それは、みかん3個とウサギ2羽、釣り竿1本、合わせていくつですか、問うような愚問。同じ科目でも、問題が違うものを足すことはできない。逆に言うと、まったく種類の違うものを平気で数だけ足して、合計だの、平均だの、数字を弄くり廻し論じているやつは、鉛筆を嘗めてロトナンバーを思案している連中の同類。

そもそも、物は、結局、買うか、買わないか、売れるか、売れないか、だけの問題。点数もへったくれも無い。婚活も同じ。結婚するか、しないか、しか無い。なのに、相手に点数を付け、もう少し背が高かったいいのに、とか批評して、相手の背が伸びるか? 地方出身者はイヤ、とか相手に言って、そいつが取って付けたように都会ぶったら満足できるのか?

人も物も店も、その総体で、それだ。部分だけを変えたりはできない。だから、部分を否定することは、全否定するのも同じ。そんなこともわからないバカな批評魔、採点魔だから、交渉相手も無しに自分勝手にゴネてばかりいて、いつまでたっても誰にも、愛されない。どこへ行っても、みんなに嫌われる。

自分も、家族も、友人も、物も、店も、サービスも、そこにあるがまま、それ以上でも、それ以下でもない。つまり、それ以外では、ありえないのだ。人生での出会いは、なにごともすべてがプライスレス。どんな店、どんな物、どんな相手でも、とりあえず今はそれがその百点満点。あとは、それをそのまま受け入れるか、それとも、まるごと拒絶するかの決断。そして、受け入れるなら、自分がそれをどれだけ生かせるか。むしろ自分の技量の方が問われている。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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