箍(たが)のはずれた資本主義を修正するために、個別の強欲企業・守銭奴経営者をやり玉に上げることは根本の解決にはならない。それは、私たち一人一人に焦点を当てねばならない。
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きょう紹介したい一冊は、
ロバート・B・ライシュ著『暴走する資本主義』
<原題:“Supercapitalism”>
(雨宮寛・今井章子訳、東洋経済新報社)です。
本題に入る前に、先日テレビのニュースで取り上げられていた事故について触れたい。
それは、兵庫県明石市で2001年7月に起きた「明石花火大会歩道橋事故」です。
市民花火大会に集まった見物客がJR朝霧駅南側の歩道橋で異常な混雑となり、
「群衆雪崩」が発生。11人が死亡、247人が負傷した事故です。
遺族は、その警備・安全体制に問題があったとして
管轄の明石警察署元副署長らを訴え続けているのですが、
10日ほど前、
「業務上過失致死傷容疑で書類送検され、
3回にわたり不起訴になった当時の明石署副署長(62)の処分を不服として、
遺族側は、神戸検察審査会に3回目の審査を申し立てた」
とのニュースが流れた。
私は、この事故については、遺族の方々の心が収まる形で終結し、
今後同じような事故を他でも起こさないことを願うばかりです。
さて私には、この事故と、きょう紹介する『暴走する資本主義』とが
ある部分、重なって見えます。
以降、本題に沿って、明石事故を分解してみたい。
明石事故において、着目する点は3つあります。
1点目に、安全面での警備体制・規制がなされていなかったこと。
例年、人がごった返し、かねてから安全面での問題が指摘されていたにもかかわらず、
混雑を規制する計画も、当日の警察官出動もなかったという。
2点目に、被害者は主に過度の圧迫による死傷です。
歩道橋に溢れた人びとの一人一人は、もちろん事故を起こす意図などない。
ましてや誰かを圧死させようなどという殺意があるわけでない。
第一、一人の人間は他人を圧死させるような強い力を持ち合わせていない。
しかし、物理的には、歩道橋にいた一人一人の自己防衛の行動が重なり合わさって、
ある箇所に力として集中し、たまたまそこにいた個人が圧迫被害を受けた。
(特に子どもや女性など力の上での弱者が被害者になりやすいという)
3点目に、したがって、当時、あの歩道橋にいた一人一人が
知らず知らずのうちに(物理的な意味での)事故の加担者となり、
かつ、誰もが、被害者になりえた状況にあった。
* * * * *
さて、そんなことを頭に置きながら、
ロバート・B・ライシュ著『暴走する資本主義』の内容に移りたいと思います。
「1970年代以降、資本主義が暴走を始めたのはなぜか?」
―――著者はこの問いを置くことからスタートしています。
この問いは、読み進めていくと解るのですが、表面的な問いではありません。
現象の本質、そして人間の根本を見つめようとする問いです。
次のページ根本的な意味で
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【マクロの視点を持つ:資本主義】
2009.06.05
2009.06.01
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。