世間が決めたいい山に登るだけが能ではない。当初は何も見えない景色の中に「自分の登るべき山」を見出し登頂するのが最高のキャリア能である。
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私は時々気分転換で
地元の公立図書館の学習室に行って仕事をするときがあります。
社会人学習室は簡単なブース形式になっていて
机や椅子の使い心地はいいし、空調もほどよいので平日でも利用者が多い。
そんな中の常連に、
いかにも「俺は年季の入った司法試験浪人だ!」張りの男性がいます。
机の上には六法全書やら専門書やら参考書やらを何冊も積み上げて
いつも大学ノートに何かを書き込んでいる。(居眠りも多いが)
いつぞやは鉢巻きをして勉強に臨んでいました。
歳格好からすると、すでに5浪や6浪くらいはしていそうな貫禄(?)です。
私が「浪人」で思い出すのは、予備校時代の「東大浪人」でしょうか。
私も1年間予備校に通いましたが、そこには「東大以外は大学にあらず」として
2浪3浪中の先輩受験生がまたぞろいました。
私はその後、運よく慶応大学に入りましたが、驚いたのは、
一応、慶応大学に入学しておき、籍だけ置いて、
もう1年東大受験に専念する幽霊学生がクラスに何人もいたことです。
また、世の中には「ミュージシャン目指してます」とか
「人気芸人になりたいんです」ということで
定職に就かずアルバイトで食いつないで
そのための活動をやり続ける人たちがたくさんいます。
「司法試験合格」にしても
「東大合格」にしても
「ミュージシャンになる」、「人気芸人になる」にしても、
(各自の抱く内面の動機=“何のために”という自問はともかくとして)
これらはひとつの夢であり、目指すべきひとつの目標です。
私はそうした夢や目標をもつことは極めて大事だと思っているし、
(研修でもその重要性を言っている)
初志貫徹のために挑戦を続ける姿には敬意を表したい。
しかし、同時にそうした人たちに対し、
本記事で以下に述べることも頭の中に併存させてほしいと願うものです。
なぜなら上記のような人たちの中で、ある割合の人たちは
夢を言い訳にしてほんとうの実り多き人生を逃していたり、
その目標に向かってただチャレンジしている風だけのことに
満足してしまっているかもしれないからです。
◇ ◇ ◇ ◇
では、本論に入ります。
まず指摘したいことは、キャリア形成には
「意図的につくりにいくキャリア」と
「結果的にできてしまうキャリア」の2種類があることです。
前者は、「医者になろう」とか「宇宙飛行士になろう」とか、
明確な目標を定めて、意図的に計画してステップを踏んで
ついにそれを獲得していくものです。
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【キャリアを開く/拓く/啓くということ】
2009.11.23
2009.10.26
2009.10.11
2009.09.25
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。