「お客さまのため」という姿勢は、言葉で発するより前に、行動で示すものです。 行動の中には「思考」も含まれます。 安易に「お客さまのために」と発する、当事者意識のない人間は、プロではありません。
2011年の3月末をもって、4年以上続けてきたZ会のSNS「パルティオゼット」の閉鎖が決まり、先日ユーザーに告知されました。
ユーザーが利用しているサービスのクロージング…とくにコミュニティ系は、ユーザー同士の間で、そのサービスを使って初めてつながりが出来たケースも多々あり、心情的にクロージング処理は辛いものです。
だからといって今回、告知し、ユーザーから様々な「潰さないで!」という声をいくつか頂戴しただけで
「お客さまのためになっているこんなサイト、潰すなんて!なんとかならないか!」
と、サービス提供者側の立場から発する人間は、当事者意識がなく、だいたいが普段は「お客さま」のことなんて考えていません。
人間感情に訴えるユーザーの声を頂戴したときに「声に発するだけ」「行動に移さない」人というのは。
注)今回僕の知る限り、社内で上記のようにイキナリ言い出す人間はいませんので、ある意味ほっとしています。
ユーザーから反対の声が挙がることを十分承知の上で決断していることですから、ちょっとした声に感情的になりすぐに反応するのは、企業人とは思えません。
サービスの継続のためには企業の存続が条件で、企業の存続にサイトが何らかの貢献…広告宣伝、販促、あるいは受講生の継続に、「費用対効果として並以上に貢献している」と、数値的なデータを分析し、自分の感覚も重ね合わせたときに“サイトの貢献度が著しく低い”と思えるようであれば、それはやはり続けてはいけない、そう思っています。
誤解を招きやすいのは、この態度が、表面的に見たときに、「人としてどうよ」と思える人の態度と全く同じになること。
だから「お客さまのために!」という声を発することが正論かつ「最もお客様に寄り添った言動」のように受け止められるんです。
そもそも、どんな声がユーザーから届いても聞く耳持たない人、あるいは、会社の存続のために必要な利益以上に稼ぐ…つまり「あぶく銭を儲けたい」タイプの人は、「人としてどうよ」という範疇です。
この範疇の人との相対比較してお客さまに寄り添った態度の人は、ユーザーのショックを招くような出来事を告知したときに「え~っ、残念、なんとかならないかなあ~」と「感想」のようにつぶやく人、そして当事者でもないのに「お客さまのためになんとかすべき!」という「べき論」を吐く人、などです。
一見すると「お客さまのことを思っている態度」のように見えますが、そうではないんです。
「普通の感情を持った人間」であるだけ。
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