組織風土を大切に考えるとき、最も使えるものは何か。クレドを作って配布しても、効果がないのはなぜか。
「日本辺境論」(内田樹著)では、日本人、日本という国は、常に“きょろきょろ”している。自分がどうあるべきかということよりも、他との比較が気になり、他との比較でしか論じることができない。また日本人は、モノを決めるときにはその論理性でも明らかさでもなく空気が重要である、相互に分かり合ってさえいればほとんど合理性のないことでも、その決定に合意できる。学ぶべき見本が常に外部にあり、正解を常に外部に求め、相対的にどうかという思考しかできず、自ら標準を設定することができない、などとあります。(さわりだけを大雑把に言えば・・です。)
既に似たような指摘がなされていることでもありますが、その通りであろうと改めて感じます。きょろきょろしている政治家を批判するメディアも、何を軸として述べているのか不明なきょろきょろ具合で、発表資料や世論調査を頼りにするしか術を持たない。他社はどうした、一般的にはどうなっていると聞くばかりの経営者。ガイドブックやノウハウ本が売れるのも同じでしょう。内田樹さんは、これはもう日本として日本人として仕方がない、どうしようもないのだからこれを強みとして生き方を模索するしかないのだという立場をとっておられます。
その理由は、日本には初期設定がないから。『そもそも、何のためにこの国を作ったのか』というものがない。理念に基づいて作られた国ではない。『かつてのアメリカ人がそうであったように振舞うことで、アメリカ人がアメリカ人たりうる』、といったような継承された規範がないからだと。そうなのかもしれません。
が、企業というものを考えたとき、ここに学べることがあります。“きょろきょろ”せず、他社や周囲との比較・検討に時間や気持ちを奪われることなく、自ら設定した標準や軸に基づいて考え、行動できる人達が揃う会社になるためにどうすれば良いのか。そこにいる人達が日本人であれば“きょろきょろ”の癖は直らないとしても、程度の問題として、その企業に属する人間に相応しい言動を迷いなくとり続けられるようにするために、どうすれば良いか。この答えの一つが、内田さんの言われる「初期設定」なのではないかと思います。しかしながら、これを単なるビジョン、企業理念、行動規範、経営方針といったもの、ましてやクレドの作成などと混同してはなりません。
この本には、「物語」という言葉がよく登場するのですが、初期設定とは、ビジョンや企業理念・行動規範・経営方針といったものに「物語」が付いている状態ではないかと思います。受け継ぐに値する最初の頃や昔にあったエピソード、背景や登場人物や状況を踏まえた迫力ある実話、そしてそのときに行なった思考や判断や言葉や行動こそ、初期設定を作文レベルからDNAのような一人ひとりに埋め込まれたレベルにしていくのではないかということです。
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2011.12.14
2012.05.14
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。