ドラッカーの「自らの強みに集中せよ」は、リーダーにも若手社員にも大切な言葉。その実践は容易ではないが、少なくとも「弱みに集中する」ような指導や自己認識はやめたいものです。
ドラッカーは「自らの強みに集中せよ」と言っていて、これはリーダーにとって非常に示唆に富んだ言葉で好きな人も多いと思います。意味の一つは、個人にしても組織にしても、苦手や弱みを普通レベルや得意となるまで引き上げていくことはとても難しいので、強みを更に伸ばすほうが効果的である、ということ。もう一つは、「組織のメンバーが同じような強みを持っていても、それは外から見れば弱みがある状態」であって、逆に「各々が異なる強みを持てば、外から見て弱みがない状態にすることができる」ことをリーダーは理解すべきだとメッセージしています。
当たり前のようですが、自分の言動を振り返れば、メンバーの苦手や弱みがどうにも気になって、それを直せ・学べと言いたくなりますし、自分や周囲ができることを同じようにできるようになれ、という指導をしたくなってしまいますが、これはいずれも成果につながりにくい(苦手や弱みはなかなか克服できないし、皆が似たようなことが出来たって外から見れば大した組織ではない)。それよりも、得意を認めてそれを更に伸ばせ、自分たちのできないことを出来るようになってくれ、と逆のことを言った方がいいのだという指摘です。
理屈としてはナルホドと言うしかありませんが、これを実践しようとするときには「強みとは何か」が問題となります。今の組織において強みは何か、本当にそれは強みか。各々のメンバーの強みは何かと問われて、リーダーとメンバー本人の答えが一致したものになっているか。もしくは、それぞれがどのような強みを持つようにすればよいか、を明らかにできるか。これらは実際にやってみると、とても難しい。スポーツにようにいろいろなことが計測できればいいのですが、そうはいかないので強みを明確にすることが難しい。「強みに集中する」ためには、自分の、自分たちの強みが何かを明らかにするプロセスが必要だということになります。
強みとは、常に相対的なもの。つまり、自分が強みだと思っていても、周囲や世の中の人々もできるようなことであれば、それは強みではありません。また、何か強みがあったとしても、時間が経って周囲や世の中の人々ができるようになってしまえば、あるいは、それが陳腐化して価値が低下してしまえば、強みとは言えなくなってしまう。
とすると、一つは、他者・周囲・他の組織に目を向け、触れ合い、できれば中に入り込むことによって現状の相対的な価値を測ること、もう一つは過去や歴史を俯瞰し、未来にも目を向け、自分の得意を時間的な意味で相対化することが、強みを知るために不可欠なプロセスということになります。自分にばかり関心を向けても、強みは分からない。ドラッカーは別のメッセージとして、市場や顧客に焦点を当てよと言っていますが、このこととも重なります。
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2010.12.28
2011.05.05
NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。