何かに挑戦しようとするとき、能力が足りない、資金がない、環境が悪い、といった物理的な壁があってできないと思われる状況はしばしば起こる。しかし最もそれを阻んでいる壁は、実は自分の内につくってしまう精神的な壁である。
ずいぶん前のことになるが、米メジャーリーグ野球の松坂大輔選手が「なめてかかって真剣にやる」といった内容のことをコメントしていたと記憶する。「なめてかかる」とだけ言ってしまうと、何を高慢な、となってしまいそうだが、その後の「真剣にやる」というところが松坂選手らしくて利いている。
「なめてかかる」というのは決して悪くない。いやむしろ、それくらいのメンタリティーがなければ大きなことには挑戦できない。きょうはそんな壁を飛び越えよという話である。
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私たちの眼前には、つねに無限大の可能性の世界が広がっている。しかし、その世界は壁に覆われていて、どれくらい広いのかよく見えない。壁の向こうは未知であり、そこを越えて行くには勇気が要り、危険が伴う。
一方、壁のこちら側は、自分が住んでいる世界で、勝手がじゅうぶんに分かっており、平穏である。無茶をしなければ、安心感をもって暮らし続けられるだろうと思える。そんなことを表したのが図1である。
「既知の平穏世界」と「未知の挑戦世界」の間には壁がある。これは挑戦を阻む壁である。分かりやすく言えば、「~だからできない」「~のために難しい」「~なのでやめておこう」といった壁だ。壁は2つの構造になっていて、目に見える壁と目に見えない壁とに分けられる。
目に見える壁は、能力の壁、財力の壁、環境の壁などである。目に見えない壁は、不安の壁、臆病の壁、怠惰の壁などをいう。前者は物理的な壁、後者は精神的な壁と考えていいだろう。
何かに挑戦しようとしたとき、能力のレベルが足りていない、資金がない、地方に住んでいる、などといった物理的な理由でできない状況はしばしば起こる。しかし、歴史上の偉人をはじめ、身の回りの大成した人の生き方を見ればわかるとおり、彼らのほとんどはそうした物理的困難が最終的な障害物にはなっていない。事を成すにあたって、越えるべきもっとも高い壁は、実はみずからが自分の内につくってしまう精神的な壁なのだ。
私たちは誰しも、もっと何か可能性を開きたい、開かねばとは常々思っている。しかし、壁の前に来て、壁を見上げ、躊躇し、“壁前逃亡”してしまうことが多い。そんなとき、有効な手立てのひとつは、「こんなことたいしたことないさ」と自己暗示にかけることだ。やろうとする挑戦に対し、「なめてかかる」ことで精神的な壁はぐんと下がる。
どんな挑戦も、最初、ゼロをイチにするところの勇気と行動が必要である。そのイチにする壁越えのひと跳びが、「なめてかかる」心持ちで実現するのなら、その「なめかかり」は、実は歓迎すべき高慢さなのだ。
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壁を乗り越える~なめてかかって真剣にやる
2011.02.26
2011.02.24
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。