東日本大震災のニュースの数々は、心を闇にする。しかし、闇の中にも、確かな光も見えだした。その光にすがり、共有するのもメディアの仕事である。
被災者同士が助け合い、励ましあう姿が、報道を通して少しずつ知ることができてきた。「日本人のモラルに世界が驚く」というライブドアニュースのトピックスには、4000以上のコメントが寄せられている。あの中国のメディアでも、被災地での日本人のモラルある行動はミラクルであると伝えている。
http://news.livedoor.com/article/detail/5410078/
未曾有の被害に対する復興は、そのスピードを急げば急ぐほど、経済合理的な復旧計画を描くことになる。その中で、海辺の小さな街の復旧の多くは、きっと置き去りにされる。それでも、あの海辺の街は、再度立ち上がるだろう。なぜなら、日本人は、「こんな時でも整列してモノを買う」倫理と道徳観のルーツを持っているからである。それは、「なぜ何度も津波が押し寄せた記録のある街に日本人は住むのか」の理由もあぶり出してくれる。
前田秀樹著「日本人の信仰心」(筑摩選書)には、昭和の文人・保田興重郎の語る日本人の倫理の源泉が書かれている。米といくらかの雑穀、豆、野菜などがあれば、人間は誰もが豊かに身を養うことが出来る。それを保障する、水、土、光、空気と人々の協同があれば、人間は何ものをも殺さず、侵さず、恒久の循環に生きていくことができる。「米づくり」を原理とする、「足を知る」精神が、この国の倫理と道徳のルーツであると。
そして、この著書に記されている次の文章を読む度に、田んぼが遊び場だった田舎生まれの私は、何故かしら涙が出てくる。田んぼや港を津波が襲う映像を見ながら、また、この言葉が思い出された。
「自然の所与は、課せられた圧倒的な問いであり、米の収穫は、それへの回答である。問われては答え、問われては答える。問いは、毎年異なる。いや、あらゆる時に異なってくると言えるだろう。水、土、光、空気の流れは、刻々に変化している。生育する稲は、それらの変化に刻々と応じる。それらの性質を分離させては、新しく束ね、また拡散させる。それらの性質の限りない差異に入り込み、選り分け、結びつけ、流れの中に驚異的な統合の線を創り出す。そうして、米ができる。農村の父達が、ほんとうに信じているものは、都会人が教える効率でも、利潤でもない。この働きだけである」
漁業や農業は、自然からの「問い」の連続である。その変化に刻々と答え、問いの向こうに未来を信じ続けてきたのが、私達・日本人なのである。だから、何度も、天変地異に遭いながらも、その村で、農業や漁業を営んできた。利潤をあげる計算に口先で賛成しながら、決して従わない。そうして、何度も津波が押し寄せる街に暮らし続けてきたのだ。
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有限会社ペーパーカンパニー 株式会社キナックスホールディングス 代表取締役
昭和30年代後半、近江商人発祥の地で産まれる。立命館大学経済学部を卒業後、大手プロダクションへ入社。1994年に、企画会社ペーパーカンパニーを設立する。その後、年間150本近い企画書を夜な夜な書く生活を続けるうちに覚醒。たくさんの広告代理店やたくさんの企業の皆様と酔狂な関係を築き、皆様のお陰を持ちまして、現在に至る。そんな「全身企画屋」である。