バスの中で女の子が泣いていました。 3人きょうだいの中の真ん中区の女の子、年のころなら年少さんくらの女の子だったと思います。 なんとはなしに聞き耳をたてていると
母「どうして、泣いているの?」
娘「・・・」
母「なんで、お母さんが座りなさいと言った時、『イヤ』と言ったの?」
娘「だって・・・」
母「座りたくないなら座らなくていいのよ……
お母さんの言うことをきかないならもうあなたを連れて出かけない」
そんな親子の会話が聞こえてきました。
私は、話を聞きながら、「親の論理」の押しつけのようで気分が沈んできました。当事者である親子も辛かったでしょう。
この場合、お母さんが「どうして?」と聞いた時点で、話をお母さんの土俵に持ち込もうとしています。そして、子どもが土俵に乗ってこないことで、お母さんはますます感情的になって語気を荒げました。
子どもがお母さんの土俵に上がれるわけがありません。これは仕方がないことです。親と子では、「語彙」も「経験」も雲泥の差ですから。
同じことが部下と上司の間でも起きがちだと思います。
上司が上司である理由は、部下よりも「経験」や「見識」があるからです。
親も上司も、自分の方が「経験」や「見識」があるからこそ、相手の(子どもや部下)土俵に降り立つことができるのです。
相手の土俵で話すとは、ペースを合わせて、落ち着いて、何をしたいのか? 何に躓いているのか? といったことに気をかけながら、メッセージを受け取ることです。
上から語らず、時に降りる勇気を持ちましょう!
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2009.10.31