『生命を捉えなおす』(清水博)・『動的平衡』(福岡伸一)の2冊、そしてベルグソンの言葉、『徒然草』の一話から「生命・生きること」を改めて考える。
「良い本」というのは、その本が扱うテーマをよく理解させてくれるのは当然ながら、そこで展開される観点を1つのレンズとして世界全体を見つめ直してみるとき、より深い認識を与えてくれるものでもあります。
その意味で、この2冊───『生命を捉えなおす』(清水博)、『動的平衡』(福岡伸一)はとても「良い本」です。両書とも、これまでの科学が邁進してきた機械還元論的な生命観を超えて、全体論的な視座から生命を見つめ直し、生命を「動的な秩序」として定義します。と同時に、そしてそれを基にして、仕事のこと、生活のことに新しい気づきを与えてくれます。
私が特に面白かったのは、清水先生が、極力、西洋的な思考アプローチと形而下の分析を行いながら、かつ、東洋の叡智が過去から直観的に捉えていた生命観を慎重に取り込みつつ、新しい生命科学を打ち立てようとする論理過程です。また、清水先生は、生命という切り口から、「場」という概念に新しい光を与えます。私の場合は、組織論が仕事に関連していますから、これを事業組織の「場」に敷衍して考えることはとても有意義でした。
他方、福岡先生の本は、新しい生命観を基に、昨今のダイエットブームやサプリメントブームの危うさを知ることができます。また、歴史上のいろいろな科学者たちを紹介してくれており、そうした群像物語から刺激をもらうこともできます。
◆生命は瞬時も休みなく「定規立て」をやり続けている
きょうはこの2冊にインスパイアされ、「生命・生きること」について私が再認識したことをまとめます。さて、下図をみてください───
みなさんは、子どものころ、手のひらに長い定規を立てて、それが倒れないように手のひらを前後左右に素早く動かすという遊びをやりませんでしたか。別バージョンとして、足の甲に傘を立てたり、額(ひたい)にほうきを立てたりするのもあります。
───いずれにしても、このせわしなく立たせている状態が「動的平衡」です。
定規には常に重力がはたらいているので、手のひらの動きを止めたとたん、定規は倒れます。動的平衡が失われるからです。生命とは簡単に言えば、この動的平衡の状態です。私たちは、生きている間じゅう、ずっと、四六時中、休みなしにこの「定規立て」を自律的にやっているのです! なんと不思議なことでしょうか。
もう1つ、図をこしらえました。
私たち生物の身体は一つの“器(うつわ)”と考えられます。この器は、開放系と呼ばれるシステムで、常に外部と内部とでエネルギーの交換をしてその状態を維持しています。
ゾウリムシのような簡素な器(簡素といっても、現在の人類の科学をもってしてもそれをつくり出すことはできない)から、ヒトのような複雑巧妙な器まで、生物という器は驚くほどに千差万別です。そしてまた同じヒトの間でも身体の個性がさまざまありますから、器は千差万別です。しかも、その器は単なるハードウエアではなく、環境情報を処理するソフトウエアまで組み込んでいます。さらに言えば、霊性までをも宿している。こんなものがなぜ暗黒の宇宙空間から自然に生じてきたのか───この解を求める科学が、やがて哲学・宗教の扉の前に行き着くという感覚が、一凡人の私にも容易に想像ができます。
次のページ◆人は坂に立つ
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2009.10.27
2008.09.26
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。