NPO法人「老いの工学研究所」のHPに寄稿したコラムを転載しました。
私は、NPO法人「老いの工学研究所」の研究員をしており、この3月、5名の高齢者をお招きして開催した座談会で進行役を行った。そのとき、最も印象に残ったのは、ある80歳代前半の女性が語った内容だ。私が「高齢者が幸福だと感じるかどうかに、何が関係していると思いますか?」と質問したら、彼女は「食べるのに困らないことかなあ。経済的余裕というか・・。」と答えた。身なりや物腰、雰囲気からして私はてっきり、お金持ちの方だと思って、「いいお店に出かけて、食事を楽しんだりされるんですか?」と尋ねたら、「そんなのじゃなくて、お米とお味噌とお醤油がちゃんとあるということ。私達の時代は質素倹約で育ってきたわけだから。ぜいたくしようとは思いません。テレビや雑誌で、お金持ちがぜいたくをしているのを見て、いいなあとは思うけれど、自分も同じようにしたいとか、うらやましいとは全然思わないですね。」と回答された。
座談会が進んで話を詳しく聞いていると、やはり裕福な方ではあったのだが、世代の違いは大きい。今、十分なお金を持っていて自由に使うことができても、子供の頃に徹底された「質素倹約」という考え方や金銭感覚が残っており、米・味噌・醤油があって、食べるのに困らないことが経済的余裕で、ぜいたくしたいとは思わないという。もちろん、高齢者がお金を貯め込んで、消費をしないから景気が良くならないという一面もあるので、質素倹約などと言わず、持っているなら使って欲しいとも思うが、私は別の点に興味が湧いた。
当研究所のアンケート調査では、現在の高齢者の幸福度(自己評価)はかなり高いが、それは子供の頃の不自由な生活が大きく影響しているのではないか、ということだ。子供の頃、食べるものが十分にはなかった、モノにもお金にも恵まれていなかった。だから、「それに比べれば今は幸せだ」と感じるのではないか。であれば、現在の50歳代やその下の世代が高齢者になっていくとき、どのように感じるのだろう。高度成長期に子供時代を過ごし、大学時代や社会に出た頃はバブル期で、質素倹約など考えたこともない、ぜいたくを経験してきた世代である。生活レベルを落とすのは難しいというが、つつましやかに生きる術もマインドも持っていない世代が高齢化していくと、「不幸だ」と感じる高齢者が恐ろしく増える可能性があるのではないか。
高齢化社会の問題は多様だが、いつまでも活き活きと元気に働き、社会に関わり、貢献する高齢者を増やすことが、それら諸問題の解決において大切なのは言うまでもない。また、「健康とは、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態である」というWHOの定義に従えば、健康寿命を伸ばすという目標は、体を鍛えたりケアしたりするだけでは達成できず、高齢になっってから、精神的・社会的に良好な状態をいかに保つかも大切である。その点で、50歳代がどのような高齢者になっていくのかは重要だ。若い頃の価値観を変えられないままに不幸をかこちながら生きていく老人になるのか、それとも今の高齢者とは異なる幸福を見出していくのか。それは50歳代の人たち自身の課題でもあるが、次の時代を見据えて政策面や企業・地域も一体になって取り組まねばならない課題でもある。老後に備えたお金の話や、アンチエイジングにばかり注目している場合ではない。
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。