自己分析の勘違い

画像: photo AC: こぶた さん

2015.10.24

ライフ・ソーシャル

自己分析の勘違い

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/自分なんて地平線と同じ。いくら探したって、見つかるわけがない。これまでの二十年間がまっすぐ、これからの五十年間に延長していると考える方がおかしい。むしろ、これから仕事、貯金、結婚、出産、転勤、教育、病気、介護など、経験したことも無い出来事が襲いかかる。そこで、どんな自分になりたいのか、そんな自分に、その会社に入ってなれるのか。分析というより、決断だ。/

 就活のエントリーシートなどに、そもそも志望企業探しのために、「自己分析」をしろ、と言われる。おまけに、それを面接でもアピールできるように、具体的で印象的な過去のエピソードを見付けろ、と。で、自己分析ってなんだ? 自分がどんな人間であるか、見つめ直し、理解して、特性を活かせ、ということ?


 哲学なんで、就職で役に立たない、関係が無い、と思うかもしれないが、じつは、この話、哲学の大物、カントがさんざんに論じている。カントに言わせれば、自分なんて、どう分析したって見つかるわけがない。それは、これが地平線だ、という線と同じ。いくらあちこち歩き回って探してみたって、そんな永遠の向こう側に、だれも絶対に手が届くわけがない。つまり、自分探しなど、理論的に、根本から時間のムダ。


 いろいろな過去のエピソードを寄せ集めて、そこから共通する「本質」を探り出す、というのは、帰納法。そして、一般の物事であれば、こうして見つけたその本質を延長して外挿する演繹法で、未来も正確に予測することができる。


 ところが、人間は、カント以降の実践哲学、実存哲学で注目されるように、過去がどうであれ、未来は、自分がどうするか、に懸かっている。君の自由意志しだい。つまり、こと人間に関しては、過去の事実から帰納法で導かれた結論は、そのまま未来へまっすぐ延長しているとは限らない。もとより学生の自己分析など、たかだかサンプルが二十年そこそこの話。これからにこそ、いろいろな経験を積んでいくのに、そんなガキのころの話が四十歳、六十歳になっても、まったくぶれない、変わらない、という方がおかしい。


 かといって、自己分析なんてムダ、なんて言っているやつも、どうかと思う。バカの自覚を持ったやつだけが、しっかり学ぼうと思うもの。ブスの自覚をもったやつだけが、きれいになりたいと願うもの。つねに自分に足らぬ物事の勉学に努力している人が、賢明、どんなときにも自分の至らなさを気に掛けて愛想を心がけている人が、かわいい、というもの。


 人間は、過去をすべて捨て去って、いきなりまったく別人になることなどできない。あくまで、いまここ、が出発点だ。しかし、かといって、出発点に留まり続けているやつは、その延長線上にある未来さえ手に入れることができない。自分がどんな人間であるか、ではなく、問題は、自分がどんな人間になりたいか、だ。未来は、たしかに過去の延長だ。だが、延長線など、どんな風にも曲げて引くことができる。そして、その延長線が辿り着くべき、果てしないかなたにある地平線は、実在ではなく、君が歩いていくべき永遠の目標。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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