アマテラスは津波追悼神:むかし名古屋は海だった

画像: photo AC: シロップ さん

2016.12.31

開発秘話

アマテラスは津波追悼神:むかし名古屋は海だった

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/アマテラスは、出雲神話にしても、山人(ヤマト)皇史にしても、崇拝の史実が無く、記紀の中で浮いている。これを持ち込んだのは、伊勢湾の海人(アマ)の影響を強く受け、壬申の乱で政権を執り、記紀を作らせた天武・持統。その背景には、前代未聞の白鳳地震の大津波災害があった。/

 しかし、本来の山人神話では、皇祖神は高ミムスヒだった。第23代顕宗天皇のところに、即位3年2月、任那に使いを出したら、月神が出てきて、私の祖先の高ミムスヒが天地のいろいろを作ってやったんだから、私を祭れよ、と言う。同年4月、こんどは日神が人に憑いて、イワレの田(桜井市吉備池あたり?)を私の祖先の高ミムスヒに献上しろ、と言い出した。それで、そのとおりにした、とのこと。ここでの高ミムスヒも、日神も、あきらかにアマテラスではない。むしろ高ミムスヒは火山神だったと思われる。


東宮としての大海人皇子


 では、アマテラスの出どころはどこか、ということなる。それは、わざわざ記紀を造ってアマテラスを日本の根本神とした天武天皇と大きく関わっている。

 天武天皇は、672年の「壬申の乱」以前の史料が少ない。それで、大化の改新を成し遂げた中大兄皇子こと第38代天智天皇の実弟(同父母)であることさえも、しばしば疑われる。だが、史料以前に、事実として、彼は大垣に広大な「湯沐(とうもく)領」を持っており、これこそが壬申の乱の勝利の鍵となった。湯沐領は、中宮(皇后)や東宮(皇太子)の経費を賄うための直轄領であり、天武天皇すなわち大海人(おおあま)皇子が湯沐領を持っていた、ということは、DNA的に実弟かどうかはともかく、天智時代から東宮、つまり、正規の皇位継承予定者として公認されていたことを意味する。

 ところで、一般に皇子の通名は、育った地名を当てる。大海人皇子の場合、記録はないが、その葬儀で凡海(おおあま)氏が悼辞で幼少期のことを述べており、同氏の摂津で乳母に育てられたのではないか、とされてきた。だが、大垣の湯沐領のあたりの地名こそが、「海部(あま)」郡なのだ。このことからすれば、彼は幼少から大垣の海部湯沐領で育った、つまり、生まれた時から東宮として皇位継承が公式に決まっていたことになる。

 逆に言うと、天智天皇の方が、中大兄皇子として645年の「乙巳の変」で蘇我氏を滅ぼし、「大化の改新」を成し遂げたとはいえ、皇極(斉明)女天皇の実子ながら、なんらかの理由で皇位継承の資格を欠いていた(欠いてしまっていた)可能性がある。にもかかわらず、661年に即位し、くわえて71年末の死の直前に、大海人皇子を退け、実子、弘文天皇(大友皇子)を後継者にしようとしたことは、政治的に大きな無理があった。

 時代は、そんな無理を許す状況ではなかった。618年にできた唐は、新羅と組んで半島に勢力を伸ばし、660年には半島西部の百済を、68年には半島北部の高句麗を滅亡させた。にもかかわらず、天智天皇は、百済再興を支援して、663年に「白村江の戦い」で大敗。唐・新羅連合軍は、次には日本に攻め込んでくるかもしれない、ということで、67年には、飛鳥から近江大津に宮を遷し逃げる。ここに百済はもちろん半島各国から多くの貴族が次々と亡命してきて、押しひしめいているようなありさま。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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