ユーザーとメーカーが協働でマス商品を企画・開発する。ありそうでなかった仕組みが『マス・コラボレーションモデル』。F1層を中心としたユーザーの感性とメーカーの技術力をネット上で融合し、モノづくりに活用する。新しいプラットフォームを目指すアゲハのモデルに迫る。
第3回「研究を社会に活かしたい」
■文明開化だったSFC
「実は高校を中退しているんですよ、私。学校にはどうしても自分の居場所を見つけられなかったので」
決して勉強が嫌いでやめたわけではない。そもそも入学したのは「超」が付くような進学校なのだ。いわゆる地頭の良さは相当なものだったはずだが、なぜか学校とは合わなかった。
「別に反抗していたわけでもありません。小学生の頃から自由研究が大好きで、おねだりするものといえば宇宙図鑑や生物図鑑でした。そんな子どもだったから、受験一筋で勉強して良い大学に入ってどうなるのだろう。なんて、社会のことも自分のこともろくに知らない時期から、余計な疑問を抱えてしまったんですね」
嫌だからといってすぐに辞めたわけでももちろんない。いろいろな人に相談し、将来を考えてさまざまな職業について自分なりに調べてもみた。その結果、辞めざるを得なかったのだ。
「高校時代は、人生や進路について最も悩んだ時期でした。様々な職業の本を読んだり、小2から書き続けてきた日記を読み返して、その中でブレない軸を探しました」
同級生たちよりも少しばかり多感で、物事を深く考えるタイプだったのだろう。とはいえ、そうした悩んだ時間は決して無駄にはならない。
「思ったのは、世界は、人によって見え方がまったく違うのだということ。世界観は一人ひとり違いますよね。私は、その違いをものすごく大事にしてきたんだなって。だからこそ幼い頃から日記を書き続け、自分なりの世界観を紡いで来たんだって」
若くして悟ったというわけではないのだろうが、この気づきによって木下氏は心の中の迷いを吹っ切ることができた。
「私は、人に自信と勇気を与えるお手伝いをして、その人たちが豊かな世界観を紡げるようサポートしたいんだ。そんな仕事に就きたいんだって。人は誰でも、自分を信じられればアクションが変わりますよね。積極的なアクションは、きっとその人の世界観を好循環させるはず。そのお手伝いをするんだって決めました」
では、具体的に何をすればよいのだろうか。理想を実現できる職業としては、現実的にはどんな選択肢があるのか。
「そこが17歳の考えの浅はかさで、世の中には裏の仕組みがあることをまだ知らない。選択肢として浮かんできたのはファッションかメディアの表舞台だったんです」
とりあえずアナウンススクールに通ってみて、最初の挫折を味わう。学歴でいえば中卒となるためフリーになるしか道がない。その先に待っているのは、せいぜいが「(たいして売れない)お姉ちゃん系タレント」ぐらいだと気づいたのだ。そんなある日、転機が訪れる。知り合いの慶應大学生が、キャンパスに遊びに来たらと誘ってくれたのだ。
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FMO第31弾【株式会社アゲハ】
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