~高度成長からバブルを駆け抜け、さらなる未来へ~ 1980年~90年台にかけての日本経済のバブルが膨れ上がって破裂前後の頃の、筆者の商社マン生活を参考に小説化しました。 今も昔も変わらない営業マンの経験する予想を超えた苦楽物語を、特に若手営業マンに対して捧げる応援メッセージとして書きました。
【前号までのあらすじ】
海外の名だたる企業とビッグビジネスをすることを夢見て、憧れの
総合商社に入社したしんちゃんであったが、配属後すぐに地道な国
内商売の担当になってしまう。 同期が華やかな輸出入ビジネスな
どの海外取引、海外出張などグローバルなビジネスに関与しだし始
めているなか、自分は一体いつまで地味な国内商売に関与し続けな
ければならないのか? 一体いつになったら海外とのビジネスに
携わることができるのか? と、自分の抱いていた夢やあこがれと
現実のギャップに毎日悶々と自問自答する日々が続いていた。
3年目を迎えたある日、海外への飛躍の機会が突然転がりこんで来
た。 ただ、出張を命じられた国は、戦争真っただ中のイスラム
の大国、イランであった。 そこで、日本ではとても経験できそうに
ないビジネス体験をこなして、大口契約をものにしたしんちゃん
であったが、商社の海外ビジネスの楽しさ、苦しさを嫌というほど
味わった出張であった。
これからいよいよ本格的に、入社以来の夢である花の駐在員として
海外に打って出て、海千山千のビジネスマン相手に勝負することに
なる。
ただ、その活躍の場が、アパルトヘイトで有名な南アフリカ共和国であった。
数日後人事部から、駐在通知書が宮田の元に届いた。
「貴職を、南アフリカ講和国 ヨハネスブルグ店 機械部マネー
ジャーに任命する。 駐在期間は、原則5年とする」
< 5年もかいな。 ふー・・・ >
宮田は、この辞令がでる二年前に、結婚していた。
相手は、社内の人事部給与課の泉ユキという入社は2年先輩の女性
であった。
2年先輩とはいえ、泉は短大を出てからの入社で、宮田は二浪して入学
した上に、大学を5年もかけて卒業しているので、入社年度は2年
先輩ではあるものの、宮田の方が年上であった。
< あー、言いにくー >
帰宅して妻のユキに、思い切って南ア駐在の辞令が出たことを告げた。
聞くや否や、ユキは叫んだ。
「えー? み、南アフリカ?????
何それ????????!
パリはどうしたの? マドリッドはどこにいったの?
何で、何で、何でアフリカに行かなくちゃならないの?
それも急に!
聞いてない! そんな話!
それも、よりによって、南アってメチャクチャ治安悪いって、
テレビで散々報道しているあの南アなんかに・・・・
何で・・・・?
あー、シャンゼリゼ通りでブランド買うのを楽しみにしてたのに!
なんで、なんで・・・ 」
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商社マン しんちゃん。 走る!
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