私たちは果たして、衣食足りて「働く」を知るようになったのか? “小さな飢え”を超えて、“大きな渇き”に対する答えを求めるためのキーワードを挙げる。
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2007年夏に刊行した拙著『“働く”をじっくりみつめなおすための18講義』のまえがきで、
私はこう書いた。
◇ ◇ ◇
私たちは、
衣食足りて「働く」を知る――――ようになったのでしょうか?
確かに、平成ニッポンの世をみると、 “小さな飢え”はなくなったように思えます。しかし、私たちの目前には変わって、 “大きな渇き”が現われはじめたのではないでしょうか。次のような内なる問いに対して、明確な答えが得られないという渇きです。
・自分は何のために働くのか?
・食うためには困らないが、このままこの味気のない仕事を何十年も繰り返していくと思うと、気分は曇る。かといって、今の自分に何か特別やりたいものがあるわけでもない・・・
・仕事は本来苦しみなのか、それとも楽しみなのか?
・今の仕事は刺激的で面白い。しかし、これはゲームに興じている面白さと同じような気がする。仕事に何か大きな意味とか意義を持っているわけではない。これは健全なことなのか?
・成功すること と幸せであること とはイコールなのだろうか? つまり、仕事で成功したとしても、人生が不幸ということが起こりえるのか? また、仕事で必ずしも成功しなくても、幸せな人生を送ることは可能なのか?
・メディアの文字に踊るキャリアの勝ち組とは何だろう? 成功者とは誰のことだ?
・天職にめぐり合うことは、運なのか努力なのか?
・働きがいが大事なのはわかるが、理想の働きがいを追っていたら、就職口はほとんどなくなるのが現状だ。所詮、働くとは、妥協と我慢を強いられるものなのか?
・利己的に、反倫理的に儲ける個人・企業が増えてきたら世の中はどうなるのだろうか?また、自分自身がそういう“うまい汁”の権益を持った身になったら、果たして自身の欲望を制御し、利他的、倫理的に振舞えるだろうか? しかし考えてみるに、欲望は成長や発展のために必要なものではないか?
・仕事はよりよく生きるための手段なのか、それとも仕事自体が目的になりえるのか?・・・等々。
一人ひとりの内面から湧き起こってくるこうした「職・仕事」をめぐる“大きな渇き”は、無視することのできない“大きな問い”です。私たちは、みずからが働くことに対し、意味や意義といった“答え”が欲しい。なぜなら人間は、みずからの行動に目的や意味を持ちたがる動物だからです。ましてや、その行動が苦役であればなおさらのことです。
また、これら“大きな問い”は、同時に、私たちに課せられた“大きな挑戦”でもあります。なぜなら、働くことは、
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【働くことの意味論・価値論】
2010.04.11
2010.04.08
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表
人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。