わずか4人のチームで、開発期間もたったの4ヶ月。世界初のケータイ用DL型フルブラウザ『jig(ジグ)ブラウザ』は福井で開発された。各社がしのぎを削るブラウザ争いの中でもjigブラウザは、価格や使い勝手で圧倒的な強みを持つ。あえて福井での開発にこだわる創業者の思いは何だろうか。
第2回「技術なら負けない」
■僕にできないプログラムはない
「バイト先では、ちょくちょくプログラム作りを頼まれました。こんなソフトが欲しいんだけどと相談されて、できないと答えたことはなかったですね」
とはいえ現役の高専生である。昼間は学校に行かなければならないし、宿題などもこなさなければならない。
「今だから白状しますが、そういう言い訳をして納期をもらっていたんです(笑)。実際には話を聞いた時点で、どんなプログラムを作ればいいかわかっていました。だからコードを書き始めるのはいつも、締め切り二日前ぐらいから。納期に遅れたことはありません」
時間を正確に読めるのは、コードの最後の一行までを最初に見通せているからだろう。それが普通だと思っていたのだ。福野氏が、自分の才能に気づいたのは、会社を興してプログラミングを誰かに頼むようになってからだ。
「漠然とした要件だけを聞いて、どんなプログラムにしたらいいのかを判断したり納期まで見通すのは、結構難しいんですね、普通は」
天才プログラマならではの逸話というべきなのだろう。ただし福野氏は努力する天才である。本を読むのはあまり好きではないが、プログラムの仕様書や解説書を読むのは、まったく苦にならなかったという。
「先輩からアルゴリズムを勉強しろと本をもらっては、それを読み、バイト先で知り合ったおじさんからは、これからはJavaの時代だからと解説書を渡されて、そうなのかと学んだりしていましたから。今にして思えば全然主体性がないんですけれど(笑)」
十代のみずみずしい頭脳は、新しい知識をたちまちのうちに吸収し、自らの力に変えていった。
「そんなふうに勉強をしていたり、覚えたことを応用していろいろ遊んでいたからでしょう、何か頼まれたときに、あれとあれを使えばできるなってわかるんですよ」
能力を見込まれたからこそバイト先からアパートを提供され、自立した日々を送っていたのだ。そして卒業を前にして、進路を決める必要に迫られる。
■鯖江を日本のシリコンバレーにしたい
「とりあえず就職は無理だと思いました。バイト経験でわかったのは、自分は人の下で仕事するのが向いてないこと。どこか良い学校はないかと進学先をネットで探してみたんです」
ところが興味を持てそうなところは、たった二つしかなかったという。東大の大学院か、電通大の大学院だ。プログラムに関しては、すでに大学レベルをはるかに超えていたのだ。
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FMO第33弾【株式会社jig.jp】
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