学生さんの志、応援したい。 だからこそ、現実も知って欲しい。 少しは伝えられれば、と。
◆本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
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の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。
前半の続きになります。
3.いくら自らの「確信」があっても、何かを変えるときには「確信」という「主観」だけでは、変わりたくない、変わらない方がいい、と思っている人を説得できないこと
ちょうど先日、ある学生さんがツイッター上で
「教師は、会社勤めの人より世の中を知らない(だから民間人をどんどん教師にするべきだ)」
的な発言をしていたので、「いや家庭訪問をしたり、学校を卒業してから卒業生を付き合ったりする機会もあるから、むしろいろんな社会の人たちに触れているかもしれない」という内容を返したら、「それでも相対的に、教師の方が知らないと思います。」と返されました。
そのように確信を持つことは結構なことですし、正直僕自身も、会社勤めの方がいわゆる「社会経験」に豊富なような感を受けています。
僕がこのやり取りでえたかったのは、
「確信は、主観の領域を出ない限り、“そうじゃない”と思っている人を説得できない(ので、様々な視点で物事を見たほうがいい)」
ってことだったんです。
志を持つという事は、強い意志が必要です。意志には確信と言う主観が伴います。
これら一連の気持ちはとても大切にしてほしい一方で、あくまで「気持ち」は内面にとどめ、その確信があるからこそ「じゃあ何で、今まで自分の思っていることが達成できていないのだろう」と考えるのが大事なんです。
自分が「こうしたらいいのに」と強く思っているのに達成できていないことには、必ず何か原因があります。その原因を一つ一つ、根気強く取り除くことが、本当の意味で「志」のある行為だと思います。
それをなくして「こうするべきだ」と主張するのは、客観的な強さを伴わないため、妨げとなっていることを取り除くことはほとんどできません。
「志の強さ」とは、自分の想いを実行することにどれくらいのパワーを注ぐか、という指標で判断されます。
自分の主張が確信に近いことを言い続けても、ある一定のところで限界がきますので、注意して欲しいです。
4.自分の意見は特定の事柄に利益をもたらすかもしれないけれど、今行われている何か大切な事柄が、あまりにも普通化しているために気づかず、自身の意見を取り入れることで気づかなかった大切なものを失う可能性があること
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