コンピュータソフトといえば、自社専用に開発するもの。そんな認識が主流だった日本に、本格的なパッケージソフトを持ち込み、普及を促したのがビル・トッテン社長率いるアシスト社だ。同社成長の歩みは、日本のパッケージソフト市場成長の歩みでもある。
最終回 「人を大切に、女性を活用する会社」
■永住の決意と会社の急成長
「僕はいずれ、アメリカに帰るつもりでした。その意味では会社経営も、僕にとっては一つのプロジェクトだったのかもしれません」
ビル・トッテン氏はすでに日本に帰化している。なまじの愛国家などではとてもかなわないぐらい日本を愛してくれてもいる。だからこそ今後の日本を考えた提言を何冊もの書籍として出しているのだ。
「この国と真正面から向かい合うキッカケとなったのは娘の存在でした。1973年に娘が生まれ、最初はアメリカンスクールに入れたのです。ところが家では日本語を話しているのに、そこでは先生も友だちもみんな英語しか使わない。言葉の問題のために娘はすごく落ち込んだのです。そして僕は、アメリカと日本のどちらで子育てすべきかを真剣に考えました」
治安の問題から価値観の違いまで、さまざまな要件について思い悩んだ末にトッテン氏は日本を選んだ。
「自分では意識していないのですが、この先もずっと日本にいるのだと決めてから、何かが変わったのだと思います。こうした内面的な変化が経営にどう影響したのかはよくわかりません。しかし、永住を決意してから急に会社の業績が伸び始めたのです」
80年の4億円弱が、85年には46億円超に、同社は5年で売上を10倍以上にも伸ばしている。社員数も32人から7倍以上となる236人にまで急増している。その社員についても同社には極めてユニークな特長がある。女性が活躍している点だ。
「はっきり言って女系会社ですよ(笑)。ナンバーツーは女性、常務3名の内2名が女性。トップ営業も女性。教育部門の部長も女性。技術者にも優秀な女性がたくさんいます。これは日本社会に男女差別があったからこそ。僕は差別にとても感謝しています」
男女雇用機会均等法ができる遙か前の話である。女性が成功する会社、どんどん伸びていく企業。そんなアシスト社の評判がさらに優秀な女性を引き寄せた。そしてアシスト社は順調に業績を伸ばしていく。扱うソフトも増え、コンサルティングから製品の導入支援、教育研修、導入後のテクニカル・サポートまでサービス内容も充実させていった。
■週休4日で生き残りを図る
「リーマン・ショックの影響は、我が社にもありました。しかし、そんなことより日本の状況をよく見てください。名目GDPでみれば、2009年度は1992年より少ないじゃないですか」
次のページ『株式会社アシスト 関連リンク』
続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。
- 会員登録 (無料)
- ログインはこちら
FMO第34弾【株式会社アシスト】
2010.05.20
2010.05.13
2010.05.06
2010.04.30