評価が良かったり悪かったりして入れ替わり、その結果が処遇差となって反映されるのであれば、競争が起こり、やる気や危機感が醸成されやすくなって成果主義は当初の狙い通り機能したはずである。
成果主義が機能しなかったという指摘は、多くの場合「処遇を成果に連動させるようにしても、従業員のやる気や危機感はそれまでと比べてさほど変わらなかった。」という結果のことを言っているのだろうと思います。
成果を上げればこれまでよりも給与や賞与が上がり、昇格もするけれども、成果が上がらなければこれまでより下がる、つまり「成果によって処遇の差を広げますよ」という仕組みにすれば、多くの人がより高い処遇を目指してやる気になったり、処遇が悪くなることに危機感を抱いたりして頑張るのではないか、結果として全体の業績も上がっていくのではないか、というのが成果主義にかけられた期待でありました。しかし、そうはならなかった。
ほとんどの企業において見落とされたのは、「成果を上げる人はいつも成果を上げ、成果が上がらない人はいつも成果が上がらない」という場合に、処遇を成果に連動させる仕組みが従業員にどのように受け止められるのか、という観点です。
出来る人はいつも何をしても出来る。そうでない人はいつもうまくいかない。評価が高い人と評価が低い人が大体決まってしまっているとどうなるか。学校の通知簿と同じで、高い評価を得るたびにどんどんやる気になることも、低い評価をされるたびに危機感が増していくこともありません。給与が何倍にもなったり、クビになったりするほどの差があれば別ですが、そうでもない限りは、評価や処遇が良いにしろ悪いにしろ、それにすぐに慣れてしまい、毎度のこととして無感動・無関心になっていってしまいます。
つまり、成果主義が皆の頑張りにつながらなかったのは、『評価結果が固定化してしまっている』ことが原因です。「成果を上げる人はいつも成果を上げ、成果が上がらない人はいつも成果が上がらない」のであれば、処遇の格差を多少広げたって、その差はいつものことであってやる気にも危機感にも大した影響がないのは当然です。
逆に言うと、評価がそのたびごと良かったり悪かったりして入れ替わり、その結果が処遇差となって反映されるのであれば、給与が上がったり下がったりして競争が起こり、やる気や危機感が醸成されやすく成果主義は当初の狙い通り機能したのではないでしょうか。
ではなぜ、評価結果が固定化してしまっているのか。それは、『人材レベルに変化がないから』『能力や意識、意欲における個人差を放置してしまっているから』ではないかと考えます。それぞれの強みや弱みが、時間が経過しても変わらず放置されている状態。学ぶ機会も風土もなく、成長に乏しい状態。だから、評価の結果がいつも似たようなものになる。
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NPO法人・老いの工学研究所 理事長
高齢期の心身の健康や幸福感に関する研究者。暮らす環境や生活スタイルに焦点を当て、単なる体の健康だけでなく、暮らし全体、人生全体という広い視野から、ポジティブになれるたくさんのエビデンスとともに、高齢者にエールを送る講演を行っています。