ソフトウェア・パッケージを販売するアシストには、いくつかのオリジナル・ブランド商品がある。「監査れポータル」がその一つだ。
この商品化の経緯は、「隙間を埋める」、ソフトウェア・パッケージ屋の役割(http://www.insightnow.jp/article/6182/2)にあるとおりだが、この内部統制対応商品の発案者がアシストの重松俊夫なら、「監査れポータル」の育ての親ともいえるのが、平沼真人である。
平沼は2000年に新卒でアシストに入社。1999年は就職氷河期で、大半の企業が新卒採用の枠を減らしており、特に関西での採用は多くなかった。同志社大学で経済を専攻していた平沼は、いわゆる新自由主義派で日本はもっと規制緩和をするべきだと考え、卒論で選んだテーマも日本はもっと規制を緩和して成長をめざせ、といった内容であった。
そんなリベラルな平沼だが、就職先として超大企業と東京では働くつもりはなかったと言う。
「それなりに、真面目な学生時代を送りました。経済研究会と英語研究会(ESS)のサークルに所属し、それ以外にイベントサークルを立ち上げたりしましたが、学校にはきちんと行き、授業もしっかり聞いて経営学、金融業、貿易業、情報産業など幅広く学びました。就職活動では商社、IT、金融など、超成果主義の企業を希望して50社は受けましたが、大企業や東京で働くつもりはありませんでした。アシストに決めたのは、社長がアメリカ人、社員はほぼ全員日本人で、会社の文化が外資系と日本型経営の両面を持っていると感じたことと、そして希望していた商社でもありITでもあったことでした」と当時を振りかえる。
アシストに入社した平沼が配属されたのは技術部。そこではデータベース製品に特化した業務を担当した。
「技術の業務は、知識だけを増やしても経験や実践が少なければ技術力と言えないと思います。また経験だけがあっても知識が伴わなければ、お客様が求める最新の要求に応えることができません。つまり『技術力 = 知識 × 経験』だと考えています。特に、入社してからの4年間は必死でした。とにかく、お客様に求められるような知識を日々蓄積しつつ、また担当する仕事の数を増やすことに没頭していました。当然ながら若い頃は、お客様の方が技術力が上です。ですから私の経験が少ない分、お客様とお話しする時は、お客様がご存知ではない最新の技術的な知識を提供できるようにして、それで技術力を補おうと考えました。そのために、土、日のどちらかは出勤して、その週にやりきれなかったことをやったり、次の週のための準備をしたりもしていました」
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